横浜にもかつて、1904年から1972年まで、路面電車が走っていました。途中、1910年に横浜市営になって、最終的にバス、地下鉄に切り替わり廃止されました。
筆者は、市電に乗った記憶がかろうじてある程度です。そもそも家がある戸塚区は市電は無く、最寄りの保土ヶ谷橋までバスで行き、そこから本牧三溪園で海水浴をしたのですが遠くまで時間がかかった記憶しかありません。海水浴も本牧が埋め立てられて跡に市民プールができましたが、その頃には自家用車で行くようになっていました。
そんなわけで市電に大して思い入れのない筆者ですから、横浜市電保存館にも行ったことがありませんでしたが、今回初めて訪れました。
行ってみると改めて市内交通の歴史を感じられてよかったです。
市電保存館は、車両基地であった磯子の滝頭にあります。桜木町方面からバスで来れますが根岸線根岸駅から歩いて20分程度、堀割川沿いにあります。堀割川は明治時代に丘を切り開いて作られた人工の川です。
筆者は、市電に乗った記憶がかろうじてある程度です。そもそも家がある戸塚区は市電は無く、最寄りの保土ヶ谷橋までバスで行き、そこから本牧三溪園で海水浴をしたのですが遠くまで時間がかかった記憶しかありません。海水浴も本牧が埋め立てられて跡に市民プールができましたが、その頃には自家用車で行くようになっていました。
そんなわけで市電に大して思い入れのない筆者ですから、横浜市電保存館にも行ったことがありませんでしたが、今回初めて訪れました。
行ってみると改めて市内交通の歴史を感じられてよかったです。
市電保存館は、車両基地であった磯子の滝頭にあります。桜木町方面からバスで来れますが根岸線根岸駅から歩いて20分程度、堀割川沿いにあります。堀割川は明治時代に丘を切り開いて作られた人工の川です。
市電保存館は裏手にあります。
1973年開館。1983年に建て直され横浜市営住宅の一階部分が保存館になっています。真ん中に立っている鉄柱は開通当初の架線柱だそうで、空襲の弾痕があります。
中には、7両の実車展示があります。
個々の説明は筆者には知見がないので、展示パネルをそのまま掲載します。
500型
個々の説明は筆者には知見がないので、展示パネルをそのまま掲載します。
500型
1000型。この塗色が晩年の姿です。現在の市営バスにも引き継がれています。
1100型
1300型
1600型
1500型
実車展示以外に、横浜市街鉄道の歴史パネル展示があります。なかなか見応えがありました。
この場所は保土ヶ谷橋です。先述のように筆者には馴染みがあるところです。旧東海道が通る橋の名前ですが、市電は国鉄を挟んだ反対側の「新道」と通っていました。
写真は保土ヶ谷橋から井土ヶ谷方面への新線建設工事です。
写真は保土ヶ谷橋から井土ヶ谷方面への新線建設工事です。
市電全盛期の路線図です。
横浜市の今の地域から考えるとずいぶん海岸線に偏った路線に見えますが、1939年(昭和14年)に鎌倉郡、都筑郡の一部が横浜市に編入されるまではこの範囲が横浜市でした。
横浜市の今の地域から考えるとずいぶん海岸線に偏った路線に見えますが、1939年(昭和14年)に鎌倉郡、都筑郡の一部が横浜市に編入されるまではこの範囲が横浜市でした。
今では横浜の中心部、横浜駅ですが1960年代になって開発が進みました。
横浜には珍しかったトロリーバスも走っていて、黒字だったのですが、市電とともに廃止されました。
廃止直前の保土ヶ谷橋。最後まで三溪園に向けて走っていた4系統。
最近になって公共交通もライトレール、電動化が見直されています。横浜市電は廃止当時トロリーバス化の計画もあったようですが、頓挫しました。写真のように電停は道路の真ん中にあって乗降しにくく車も走りにくい状況だったと記憶しています。
環境面で電車は優れていると思うのですが、今は電気自動車なのでしょうか。バッテリーが管理できる公共交通ならそれも良いですが、時間制バス専用レーンにしてトロリーバスを走らすようなことも一案と思います。
環境面で電車は優れていると思うのですが、今は電気自動車なのでしょうか。バッテリーが管理できる公共交通ならそれも良いですが、時間制バス専用レーンにしてトロリーバスを走らすようなことも一案と思います。