電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

横浜にもかつて、1904年から1972年まで、路面電車が走っていました。途中、1910年に横浜市営になって、最終的にバス、地下鉄に切り替わり廃止されました。
筆者は、市電に乗った記憶がかろうじてある程度です。そもそも家がある戸塚区は市電は無く、最寄りの保土ヶ谷橋までバスで行き、そこから本牧三溪園で海水浴をしたのですが遠くまで時間がかかった記憶しかありません。海水浴も本牧が埋め立てられて跡に市民プールができましたが、その頃には自家用車で行くようになっていました。
そんなわけで市電に大して思い入れのない筆者ですから、横浜市電保存館にも行ったことがありませんでしたが、今回初めて訪れました。
行ってみると改めて市内交通の歴史を感じられてよかったです。

市電保存館は、車両基地であった磯子の滝頭にあります。桜木町方面からバスで来れますが根岸線根岸駅から歩いて20分程度、堀割川沿いにあります。堀割川は明治時代に丘を切り開いて作られた人工の川です。

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市電保存館は裏手にあります。
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1973年開館。1983年に建て直され横浜市営住宅の一階部分が保存館になっています。真ん中に立っている鉄柱は開通当初の架線柱だそうで、空襲の弾痕があります。
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中には、7両の実車展示があります。
個々の説明は筆者には知見がないので、展示パネルをそのまま掲載します。
500型
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1000型。この塗色が晩年の姿です。現在の市営バスにも引き継がれています。
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1100型
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1300型

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1600型
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1500型
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実車展示以外に、横浜市街鉄道の歴史パネル展示があります。なかなか見応えがありました。
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この場所は保土ヶ谷橋です。先述のように筆者には馴染みがあるところです。旧東海道が通る橋の名前ですが、市電は国鉄を挟んだ反対側の「新道」と通っていました。
写真は保土ヶ谷橋から井土ヶ谷方面への新線建設工事です。
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市電全盛期の路線図です。
横浜市の今の地域から考えるとずいぶん海岸線に偏った路線に見えますが、1939年(昭和14年)に鎌倉郡、都筑郡の一部が横浜市に編入されるまではこの範囲が横浜市でした。
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今では横浜の中心部、横浜駅ですが1960年代になって開発が進みました。
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横浜には珍しかったトロリーバスも走っていて、黒字だったのですが、市電とともに廃止されました。
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廃止直前の保土ヶ谷橋。最後まで三溪園に向けて走っていた4系統。
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最近になって公共交通もライトレール、電動化が見直されています。横浜市電は廃止当時トロリーバス化の計画もあったようですが、頓挫しました。写真のように電停は道路の真ん中にあって乗降しにくく車も走りにくい状況だったと記憶しています。
環境面で電車は優れていると思うのですが、今は電気自動車なのでしょうか。バッテリーが管理できる公共交通ならそれも良いですが、時間制バス専用レーンにしてトロリーバスを走らすようなことも一案と思います。

阪堺電車阪堺線を訪れたのは2023年11月でした。
新世界、通天閣も朝はまだ静かでした。
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通天閣の近くに阪堺電車阪堺線の始発駅、恵美須町駅があります。通天閣がわずかに見えます。
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ほぼ同じ地点で、1984年に撮影していました。
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通天閣がよく見えていました。
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恵比須町は終点ですが、隣の新今宮駅が実質の始発駅です。わずか500m程しか離れていません。
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JR新今宮駅の高架下に阪堺電車の新今宮駅があります。南海電車の新今宮駅はJRホームの反対側にあります。
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新今宮には星野リゾートのホテルが出来たりしてずいぶん変わりました。1984年当時、カメラを持って阪堺電車の恵比須町方向へ歩くとちょっと危険を感じる雰囲気でしたが。今後も新線なにわ筋線が計画されておりますます変化しそうな町です。

貨物駅は大都市の駅近くにありました。汐留駅や梅田駅のように廃止されて大規模開発用地になっています。横浜駅の東側にも大きな貨物駅がありました。それが高島駅です。ここはみなとみらい地区になって開発されて行きますが、みなとみらい地区は貨物ヤードだけではなく三菱造船などの工場敷地も含む一帯の開発地区なのでより広範囲です。

高島駅は横浜港の荷揚げ貨物の輸送を行うために高島線にあった貨物専用駅で、桜木町にあった東横浜駅、根岸線経由で神奈川臨海鉄道、山下埠頭線経由で山下埠頭駅などから来る貨物が集中する大きな貨物駅でした。
その歴史は大変複雑で、おいそれとは語れません。

ここでは高島駅と横浜機関区が廃止になった1986年11月の写真をご覧ください。

1986年10月10日の横浜機関区から高島駅を望む写真です。奥には横浜そごうと当時の先代スカイビルが見えます。ヤードには多くの貨車が見えます。

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1986年11月1日に横浜機関区が廃止になって、高島駅も高島信号所になって、さらに国鉄がJRになる1987年4月1日を控えていました。
以下の写真は、1986年11月6日の写真です。横浜機関区廃止後、解体を控えて一般公開をしたものだと思います。記憶にほとんどないので、なぜ中に入って撮影できたのか疑問だったのですが、同時期に同じように中に入って撮影した写真がネットにもあることと、わずかな記憶では、新聞の横浜地方版の記事で公開されていることを知って、その最終日だと思うのですが、午後になって急いで行って撮影したようです。

国道15号道路から見える横浜機関区の扇形機関庫外観。


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扉が開放されて、転車台が見えます。転車台は今、本牧市民公園にD51と共に保存されています。
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機関庫は当然蒸気機関車のために作られたもので、天井には集煙装置が残っていました。

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廃止された高島駅には、廃車になる車掌車が並んでいました。
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奥にそごうとスカイビルが見えます。
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首都高横羽線の高架が見えます。
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多分駐車場から撮影したと思います。高島線は運行されていました。
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まだまだ横浜駅東口地域に港の機能が残っていました。
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その後の高島駅は一度JR貨物駅に復活しますが1995年に廃止されます。
高島線は1989年の横浜博覧会のとき、桜木町から山下公園までレトロ調気動車を走らせたり、高島トンネルが出来て桜木町駅に直結したり変化がありました。
現在の高島線。高島ヤードの跡地の一部を通っていますがトンネルを含め当時の線路から変わっています。

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単線の両脇は高島水際線公園となり、再整備が進められています。



横浜駅東口は現在そごう横浜店、スカイビルがありその先は日産、京急の本社ビルやKアリーナ横浜などが広がるみなとみらい地区です。その間には帷子川河口がありますが、その水際に唐突に単線の線路があります。
この線路はJR貨物の東海道本線貨物支線(通称高島線)です。
東方向は鶴見駅から東海道本線を離れ貨物専用の東高島駅を経てやってきます。こちら側は高層ビルが立ち並んでいて未来都市から貨物列車が来たようなちょっと不思議な景色です。


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西側を見ると、トンネルに入り、その先は桜木町駅につながっています。

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みなとみらい地区もすでに多くのビルが立ち並んでいてその地下を貨物が潜り抜けている訳です。
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東側、神奈川区金港町栄町山内町は元々は倉庫地区でした。大きく変化しました。
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線路の両脇は高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)です。

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工事中に発掘されたイカリのモニュメント。

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反対側には車輪。これも発掘されたそうですが、ナローゲージの蒸気機関車用動輪です。
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スカイビルとかもめ
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新しいKアリーナ。公園と周辺道路は観客に対応するために工事中です。
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この場所は元は貨物駅の高島駅と横浜機関区でした。
横浜駅の東口は大きな貨物ヤードが広がっていました。
1986年10月の写真です。

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1986年11月1日に廃止になりました。
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相模鉄道がラッピング車両として「おかいもの電車」を12月末まで運行しているというので見に行きました。

「おかいもの電車」とは、横浜駅西口の振興のため1960年(昭和35年)11月1日から運行していたヘッドマーク付き旧5000系電車でした。
筆者は「おかいもの電車」を見た記憶はないのですが、旧5000系の記憶はあります。しかし当時の5000系は急行にのみ充当され、横浜ー二俣川間ノンストップでした。筆者の実家からバスで行くと西横浜駅から乗車なので2000系の黄色で吊り掛け式駆動の古いのしか乗れなくて残念に思っていました。
子供にとってその性能よりも変わった塗色に興味がありました。色味はちょっと地味でしたが随分細く塗り分けされていました。

その後、相鉄の新性能車、直角カルダンドライブの車両は5000系と同じ塗色になってますます相鉄の色となりました。
1971年3月の平沼橋付近から見た相模鉄道新6000系です。

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前置きが長くなりましたが、その当時の色をラッピングで再現するという試みです。ヘッドマークもラッピングに印刷、おでこの前照灯、下の尾灯も印刷で表現されていました。
ただ前面だけで側面は元のままです。

湘南台駅にて。
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ゆめが丘にて
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かしわ台
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横浜駅でお買い物
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この塗色は1975年ごろに黄緑にオレンジの新塗色に切り替わりました。その塗色も今は無く(前の記事の6000系が保存されています)、変遷して今は「ヨコハマネイビーブルー」になっています。

相模鉄道の車両センターを訪れました。

相鉄本線のかしわ台駅で下車、西側の改札を出ました。
(ちなみに東側は旧大塚本町駅改札まで350mの通路を歩きます。)

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西側に車庫が広がっています。

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その奥が車両センターです。

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ここは車両整備工場ですが、保存車両があることでも有名です。入口に向かって歩くと蒸気機関車が見えてきました。

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正面入り口の受付で、蒸気機関車の見学を申し出ると許可していただけます。

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見学できるのは入り口に静態保存されている蒸気機関車と客車のみですので間違えないように。
神中鉄道時代の神中鉄道3号機関車です。

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大正時代の国産機関車です。

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客車は中に入れます。

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二重屋根で採光窓がついています。

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三等車ということで背もたれは木製です。二等車とかあったのでしょうか?

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腕木式信号機も保存されています。

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受付でお礼を言って、外側から北側道路に回り込むと外から保存車両を見ることができます。
6000系の6021号は一両のみアルミ製でした。以降、相鉄はアルミ製車両を量産導入しました。

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ED10形電気機関車(ED11)

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相鉄トフ400形貨車。無蓋貨車で中央に車掌室がある。
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2000系(モニ2005)。戦災復興車両で国電などが譲渡され、のち形式統合された。旧5000系製造後も普通電車といえばこれでした。色も黄色で初めから事業用車のようでした。

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吊り掛け駆動でしたが、そのまま車体のみアルミ製に更新した2100系も存在しました。
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(旧)6000系。しばらくはこの黄緑色が相鉄の標準色となり、新6000系も同じ塗色でした。筆者には馴染み深い車両です。
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事業用車(700系モヤ700形)も見えました。

JR福島駅からなにわ筋線浄正橋交差点方向を見た写真です。

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1984年の同じ場所からの写真。
阪神電車が道路を横切っています。

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JR福島駅は大阪環状線の高架駅ですが、ここから梅田貨物線が地平へ降りていきます。この先、大阪地下駅(うめきた)に向かうのですが、関西空港、和歌山を結ぶ特急が1時間あたり3本程度走っています。結構唐突に踏切がある印象です。

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国鉄西成線のころ、福島駅は地平にありました。また阪神電車の福島駅も戦後1948(昭和23)年の線形改良まではこの付近にありました。
1964年(昭和39年)環状線が高架化されるまでは地平を阪神、西成線が並走していたそうです。
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さらに西方向に移動すると廃線跡にできた建物がありました。
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同じく廃線跡の建物。阪急阪神グループのホテル阪神アネックス大阪が奥にあり、手前が阪急オアシス。
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路地に入ると昔ながらの通りが。
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西に移動して、細長い敷地のレンタカー屋。これは新しい阪神地下線の入口上に作られたもの。
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トンネル上の「扁額」には「萬方慶」と書かれており、これは1939年(昭和14年)に出入橋トンネル入口に掲げられたものと同じ文言です。全ての人が喜ぶの意だそうです。
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旧地上線は、もっと大きくカーブして左へ曲がっていっていました。
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さらに野田駅へ向かいます。
この区間は、1961年(昭和36年)12月8日に高架化されています。ただ大阪環状線との交差部は初めは阪神が高架で上を通り、環状線高架化で阪神が地平に降りたそうなので複雑です。
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野田駅北側には古い街並みが残っていました。
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野田駅はかつて阪神国道線、北大阪線のターミナル駅でした。バスターミナルになって残っています。
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野田駅ホームから。

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阪神電気鉄道が開業した頃、始発駅は梅田ではなく出入橋でした。この話はよく知っていたのですが実際の出入橋がどうなっているのか知りませんでした。まだ福島駅が地上駅だった頃、梅田地下線に入る手前の写真は撮っていました。




この時はなんだか裏道を歩いたようで、出入橋を見ないで通り過ぎたようです。
今回は阪神開業時の始発駅出入橋駅の痕跡と出入橋そのものを見に梅田から歩きました。
阪神大阪梅田駅の西口からスタート。


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工事が進んで最後の仕上げ段階でしょうか。
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東西地下道(都市計画道路大阪駅前1号線)の拡幅整備も終わり広く綺麗になりました。西へ進みます。
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「梅田2」交差点。
2022年6月の時点で工事中のJRタワー大阪、下層階はKITTE大阪。2024年竣工予定。
旧 大阪中央郵便局なのでキッテなのですね。
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「梅田2中」交差点。
中央右のビルはハービスOSAKAでリッツ・カールトンホテルなどが入っています。
阪神電気鉄道所有で、かつて阪神本社があったところ。阪神電車地下線入口の上に旧阪神本社、ホテル阪神がありました。
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このリッツ・カールトンの下が旧地下線入口になります。
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この西側には西梅田公園があり、ここが阪神電車の地上線跡になります。
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この場所は旧出入橋駅があった場所でもあります。
先述のように1905年(明治38年)4月12日開業当初、始発駅であった出入橋駅は梅田駅延伸後も1948年(昭和23年)10月まで存在していました。戦後休止していた福島駅(こちらは現在のJR福島駅付近にあった)と統合する形で廃止になりました。

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公園は一段下がっていますが、軌道跡は残っていません。
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1982年の写真。阪神高速が通っているのは同じですが、地図を見ると料金所の作りが変わっているようです。ほぼ西梅田公園の位置で、福島駅側を見ています。
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公園の南に国道2号線、曽根崎通りが通っています。ここが新出入橋です。交差点は新出入橋東。
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新出入橋の一本隣に出入橋があります。

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もう川は暗渠になってありませんが、橋の両脇に水道管?を通した跡があります。

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老舗の店が並んでいます。
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出入橋交差点。
中央タクシーの上に見える低い建物は「ファーストキャビン西梅田」で阪神地上線の跡地です。
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この区間は曲線の多い線形でした。だいぶ改修されていたそうですが、野田駅まで狭い建物の間を縫うように走っていました。この細長い建物はいかにも跡地に建てたようです。
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先に見えているのがホテル阪神大阪が入っている「ラグザ大阪」。このビルは地上時代の阪神福島駅跡にできています。

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東側を振り返り。
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奥に見えるのはラグザ大阪の隣に立つラグザ大阪レジデンス(マンション)。これも旧福島駅の跡地に立っています。
その南側には昭和の建物が残っています。古い飲食店が入っているだけでなく新しい店もあるようです。
古い地図を見ると、阪神福島駅は先に開業していた西成鉄道、現在のJR福島駅の隣にあった時代が長く、これらの店は元々駅前にあったわけではなさそうです。ですが地上駅の頃は福島駅に接する区画でした。


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この奥はラグザ大阪、ホテル阪神大阪。
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現在の阪神福島駅は国道2号線の直下にあります。
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阪神電車は2023年日本シリーズに勝利し、日本一になりました。日本シリーズは阪神タイガースとオリックスバッファローズの対戦で「なんば線シリーズ」となりました。日本シリーズ最終日11月5日まで全車に掲げられた副標です。
記録写真を淀川駅から撮影しました。

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すでにこの副標は日本一のものに変わっています。

2023年11月5日、日本シリーズは阪神の日本一達成で終わりました。
筆者はチケットが取れなかったのですが、大阪神戸の雰囲気を見に行きました。

日本シリーズの副標デザインは阪神の黄色とオリックスの青色を並べたものでした。
青色が5001形の青胴の色にマッチしていていました。この組み合わせを撮影しようと狙っていました。


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しかし5001形は尼崎車庫に2編成停まっていました。

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さらに奥には編成が解除された5001の車両が置かれていました。
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したがって残る1編成だけ運行している状況で、撮影機会が限られる中、筆者も神戸を離れる時間も迫っていました。
5001形は今年2月に惜別していたつもりでしたが、日本シリーズヘッドマークをつけて最後の力走をする姿をなんとしても撮影しようと、粘りました。

定番の淀川鉄橋で捉えることができました。


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野田駅
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御影駅
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魚崎駅にて。ここは筆者にとって思い出の駅でした。
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側面には「ARE」のステッカーが残っています。
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名残惜しいですがキリがないので、この後新幹線に乗って帰りました。

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