電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

相模鉄道がラッピング車両として「おかいもの電車」を12月末まで運行しているというので見に行きました。

「おかいもの電車」とは、横浜駅西口の振興のため1960年(昭和35年)11月1日から運行していたヘッドマーク付き旧5000系電車でした。
筆者は「おかいもの電車」を見た記憶はないのですが、旧5000系の記憶はあります。しかし当時の5000系は急行にのみ充当され、横浜ー二俣川間ノンストップでした。筆者の実家からバスで行くと西横浜駅から乗車なので2000系の黄色で吊り掛け式駆動の古いのしか乗れなくて残念に思っていました。
子供にとってその性能よりも変わった塗色に興味がありました。色味はちょっと地味でしたが随分細く塗り分けされていました。

その後、相鉄の新性能車、直角カルダンドライブの車両は5000系と同じ塗色になってますます相鉄の色となりました。
1971年3月の平沼橋付近から見た相模鉄道新6000系です。

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前置きが長くなりましたが、その当時の色をラッピングで再現するという試みです。ヘッドマークもラッピングに印刷、おでこの前照灯、下の尾灯も印刷で表現されていました。
ただ前面だけで側面は元のままです。

湘南台駅にて。
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ゆめが丘にて
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かしわ台
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横浜駅でお買い物
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この塗色は1975年ごろに黄緑にオレンジの新塗色に切り替わりました。その塗色も今は無く(前の記事の6000系が保存されています)、変遷して今は「ヨコハマネイビーブルー」になっています。

相模鉄道の車両センターを訪れました。

相鉄本線のかしわ台駅で下車、西側の改札を出ました。
(ちなみに東側は旧大塚本町駅改札まで350mの通路を歩きます。)

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西側に車庫が広がっています。

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その奥が車両センターです。

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ここは車両整備工場ですが、保存車両があることでも有名です。入口に向かって歩くと蒸気機関車が見えてきました。

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正面入り口の受付で、蒸気機関車の見学を申し出ると許可していただけます。

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見学できるのは入り口に静態保存されている蒸気機関車と客車のみですので間違えないように。
神中鉄道時代の神中鉄道3号機関車です。

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大正時代の国産機関車です。

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客車は中に入れます。

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二重屋根で採光窓がついています。

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三等車ということで背もたれは木製です。二等車とかあったのでしょうか?

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腕木式信号機も保存されています。

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受付でお礼を言って、外側から北側道路に回り込むと外から保存車両を見ることができます。
6000系の6021号は一両のみアルミ製でした。以降、相鉄はアルミ製車両を量産導入しました。

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ED10形電気機関車(ED11)

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相鉄トフ400形貨車。無蓋貨車で中央に車掌室がある。
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2000系(モニ2005)。戦災復興車両で国電などが譲渡され、のち形式統合された。旧5000系製造後も普通電車といえばこれでした。色も黄色で初めから事業用車のようでした。

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吊り掛け駆動でしたが、そのまま車体のみアルミ製に更新した2100系も存在しました。
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(旧)6000系。しばらくはこの黄緑色が相鉄の標準色となり、新6000系も同じ塗色でした。筆者には馴染み深い車両です。
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事業用車(700系モヤ700形)も見えました。

JR福島駅からなにわ筋線浄正橋交差点方向を見た写真です。

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1984年の同じ場所からの写真。
阪神電車が道路を横切っています。

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JR福島駅は大阪環状線の高架駅ですが、ここから梅田貨物線が地平へ降りていきます。この先、大阪地下駅(うめきた)に向かうのですが、関西空港、和歌山を結ぶ特急が1時間あたり3本程度走っています。結構唐突に踏切がある印象です。

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国鉄西成線のころ、福島駅は地平にありました。また阪神電車の福島駅も戦後1948(昭和23)年の線形改良まではこの付近にありました。
1964年(昭和39年)環状線が高架化されるまでは地平を阪神、西成線が並走していたそうです。
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さらに西方向に移動すると廃線跡にできた建物がありました。
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同じく廃線跡の建物。阪急阪神グループのホテル阪神アネックス大阪が奥にあり、手前が阪急オアシス。
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路地に入ると昔ながらの通りが。
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西に移動して、細長い敷地のレンタカー屋。これは新しい阪神地下線の入口上に作られたもの。
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トンネル上の「扁額」には「萬方慶」と書かれており、これは1939年(昭和14年)に出入橋トンネル入口に掲げられたものと同じ文言です。全ての人が喜ぶの意だそうです。
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旧地上線は、もっと大きくカーブして左へ曲がっていっていました。
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さらに野田駅へ向かいます。
この区間は、1961年(昭和36年)12月8日に高架化されています。ただ大阪環状線との交差部は初めは阪神が高架で上を通り、環状線高架化で阪神が地平に降りたそうなので複雑です。
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野田駅北側には古い街並みが残っていました。
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野田駅はかつて阪神国道線、北大阪線のターミナル駅でした。バスターミナルになって残っています。
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野田駅ホームから。

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阪神電気鉄道が開業した頃、始発駅は梅田ではなく出入橋でした。この話はよく知っていたのですが実際の出入橋がどうなっているのか知りませんでした。まだ福島駅が地上駅だった頃、梅田地下線に入る手前の写真は撮っていました。




この時はなんだか裏道を歩いたようで、出入橋を見ないで通り過ぎたようです。
今回は阪神開業時の始発駅出入橋駅の痕跡と出入橋そのものを見に梅田から歩きました。
阪神大阪梅田駅の西口からスタート。


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工事が進んで最後の仕上げ段階でしょうか。
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東西地下道(都市計画道路大阪駅前1号線)の拡幅整備も終わり広く綺麗になりました。西へ進みます。
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「梅田2」交差点。
2022年6月の時点で工事中のJRタワー大阪、下層階はKITTE大阪。2024年竣工予定。
旧 大阪中央郵便局なのでキッテなのですね。
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「梅田2中」交差点。
中央右のビルはハービスOSAKAでリッツ・カールトンホテルなどが入っています。
阪神電気鉄道所有で、かつて阪神本社があったところ。阪神電車地下線入口の上に旧阪神本社、ホテル阪神がありました。
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このリッツ・カールトンの下が旧地下線入口になります。
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この西側には西梅田公園があり、ここが阪神電車の地上線跡になります。
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この場所は旧出入橋駅があった場所でもあります。
先述のように1905年(明治38年)4月12日開業当初、始発駅であった出入橋駅は梅田駅延伸後も1948年(昭和23年)10月まで存在していました。戦後休止していた福島駅(こちらは現在のJR福島駅付近にあった)と統合する形で廃止になりました。

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公園は一段下がっていますが、軌道跡は残っていません。
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1982年の写真。阪神高速が通っているのは同じですが、地図を見ると料金所の作りが変わっているようです。ほぼ西梅田公園の位置で、福島駅側を見ています。
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公園の南に国道2号線、曽根崎通りが通っています。ここが新出入橋です。交差点は新出入橋東。
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新出入橋の一本隣に出入橋があります。

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もう川は暗渠になってありませんが、橋の両脇に水道管?を通した跡があります。

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老舗の店が並んでいます。
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出入橋交差点。
中央タクシーの上に見える低い建物は「ファーストキャビン西梅田」で阪神地上線の跡地です。
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この区間は曲線の多い線形でした。だいぶ改修されていたそうですが、野田駅まで狭い建物の間を縫うように走っていました。この細長い建物はいかにも跡地に建てたようです。
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先に見えているのがホテル阪神大阪が入っている「ラグザ大阪」。このビルは地上時代の阪神福島駅跡にできています。

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東側を振り返り。
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奥に見えるのはラグザ大阪の隣に立つラグザ大阪レジデンス(マンション)。これも旧福島駅の跡地に立っています。
その南側には昭和の建物が残っています。古い飲食店が入っているだけでなく新しい店もあるようです。
古い地図を見ると、阪神福島駅は先に開業していた西成鉄道、現在のJR福島駅の隣にあった時代が長く、これらの店は元々駅前にあったわけではなさそうです。ですが地上駅の頃は福島駅に接する区画でした。


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この奥はラグザ大阪、ホテル阪神大阪。
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現在の阪神福島駅は国道2号線の直下にあります。
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阪神電車は2023年日本シリーズに勝利し、日本一になりました。日本シリーズは阪神タイガースとオリックスバッファローズの対戦で「なんば線シリーズ」となりました。日本シリーズ最終日11月5日まで全車に掲げられた副標です。
記録写真を淀川駅から撮影しました。

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すでにこの副標は日本一のものに変わっています。

2023年11月5日、日本シリーズは阪神の日本一達成で終わりました。
筆者はチケットが取れなかったのですが、大阪神戸の雰囲気を見に行きました。

日本シリーズの副標デザインは阪神の黄色とオリックスの青色を並べたものでした。
青色が5001形の青胴の色にマッチしていていました。この組み合わせを撮影しようと狙っていました。


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しかし5001形は尼崎車庫に2編成停まっていました。

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さらに奥には編成が解除された5001の車両が置かれていました。
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したがって残る1編成だけ運行している状況で、撮影機会が限られる中、筆者も神戸を離れる時間も迫っていました。
5001形は今年2月に惜別していたつもりでしたが、日本シリーズヘッドマークをつけて最後の力走をする姿をなんとしても撮影しようと、粘りました。

定番の淀川鉄橋で捉えることができました。


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野田駅
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御影駅
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魚崎駅にて。ここは筆者にとって思い出の駅でした。
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側面には「ARE」のステッカーが残っています。
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名残惜しいですがキリがないので、この後新幹線に乗って帰りました。

神戸市立御影公会堂は、神戸市東灘区御影石町にある、「阪神間モダニズム」の一つとされる昭和初期の建築です。

1933年(昭和8年)に御影町公会堂として完成しました。設計は清水栄二で同時期に近所の魚崎小学校、魚崎町役場も手掛けており、施工は甲子園球場も施工した大林組です。

筆者は魚崎小学校などは行ったことがありますが、なぜか(用もなかったので)御影公会堂は行ったことがなかったので行ってみることにしました。




阪神電車石屋川駅

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石屋川を上流に少し歩くと国道2号線があります。そこに御影公会堂が建っています。

太平洋戦争の空襲、阪神大震災に耐え、国の登録有形文化財に2018年登録されました。

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国道2号線にはかつて阪神電気鉄道国道線が野田から西灘、東神戸まで走っており、公会堂の前にも「上石屋」停留所があったそうです。国道上に見える中央分離帯のゼブラはその名残りなのでしょうか。

ちなみにこの国道線の停留所は一般の路面電車のホームは無く、ただ道路上に停まって路面に直接乗降するものでした。なんでも元々あったホームを太平洋戦争時日本軍が撤去して緊急の滑走路に使えるようにしたとか。電車にステップがついていたものの危険極まりない乗降でして、幼少時に乗った時に怖くて降りられなかったことを覚えています。

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石屋川橋も歴史があります。国道2号線は「阪神国道」として1926年(昭和元年)12月25日 に 開通しました。

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御影公会堂は2017年にリニューアルしており、バリアフリーに配慮しています。

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正面玄関内部。天井の梁にもアーチ状にデザインが施されています。

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地下に降りると御影郷土資料室と嘉納治五郎記念コーナーがあります。

ちなみに嘉納治五郎は講道館創設者の柔道家のことですが、元々御影に「灘の生一本」で知られる、灘五郷の菊正宗と白鶴の酒造で財を成していた「嘉納財閥」が寄付して御影公会堂が出来た事もあり、その一族に嘉納治五郎がいたため。なお嘉納治五郎は「灘中等学校」の創立に関わっています。

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地下には食堂があります。

この食堂は洋食レストランで、御影公会堂開館当初からあるそうで、その伝統が受け継がれています。

内部は明かりの入る窓がある高級レストランです。

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天井の意匠も残されています。
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平日の昼に御影公会堂の食堂でランチを食べ、阪神が勝った新聞を読む、というセレブのマネをしてきました。(笑)
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阪神タイガースは2023年、クライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに突入しました。オリックスバッファローズと関西対決、阪神甲子園球場と京セラドーム大阪の「なんば線シリーズ」ということになりました。
大阪ドームで阪神-オリックスは1-1、甲子園で初戦を落とし1-2で迎えた第4戦、大山のサヨナラヒット、第5戦、森下の逆転スリーベースなどで3-2と阪神が王手となりました。しかし11月4日時点、第6戦オリックスが勝って3-3のタイになっています。

筆者もチケットが欲しかったのですが抽選に漏れて入手できず。それでも大阪のホテルを予約が取れたので、阪神電車の日本シリーズ副票を撮影しにわざわざ横浜から行きました。

甲子園球場で行われた3戦中は臨時特急、それも久しぶりの梅田甲子園間ノンストップ特急が3本走ると発表があったのでそれを狙いに行きました。


2023年11月1日 大物駅にて

すでに急行も満員です。

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臨時特急 1本目
すでに陽が落ちてきました。
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臨時特急 2本目
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尼崎駅を通過する臨時特急 3本目
すでに暗くなってしまったので尼崎駅に移動して撮影。
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2023年11月2日 梅田駅にて
前日のサヨナラ勝ちでタイに戻したこの日は甲子園球場で最後の試合ということもあって盛り上がっていました。
青胴車にだけヘッドマークが取り付けられています。5001形は今年度で引退が決まっています。

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臨時特急 1本目
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満員で発車
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臨時特急 2本目
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新しくなった梅田駅の終端部には多くの撮影者が。
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臨時特急 3本目
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最後の臨時特急も満員でした。
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久々に鶴見線の国道駅に行きました。
国道駅は鶴見臨港鉄道として、開業から4年経った1930年(昭和5年)、弁天橋駅から鶴見仮停車場まで延伸時に建設されました。
昭和初期の雰囲気をそのまま残す駅です。
車両は国鉄時代の205系です。2023年冬以降E131系1000番台に置き換わっていくことが発表されています。

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鶴見駅方面のホームを降り、中段の歩道橋を渡り改札口へ降ります。
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鶴見駅側には国道15号(第一京浜)が通っています。
ちなみに同じ国道とつく駅名の阪急今津線、阪神国道駅の駅前は国道2号(第二阪神国道)が通っています。
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国道側へ出る。

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高架駅の側面
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ネットで覆われたコンクリート壁には多数の穴が空いています。
この穴は、太平洋戦争末期、米軍による横浜川崎空襲の機銃照射でできたものです。

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高架下は元は商店が入っていたのでしょうが、今ではほぼありません。
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奥に進んで鶴見小野、弁天橋方面の高架と鶴見川橋梁
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鶴見小野駅、弁天橋駅側を見る。トンネルの中から見るようです。
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天井のアーチデザインは昭和初期に流行ったようです。
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左側に無人改札があります。
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鶴見方向ホームへ向かう歩道橋から弁天橋駅方向を見ました。日中だというのに薄暗い。
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鉄路は昔と変わっていません。
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弁天橋方面から205系が近づいてきます。
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鶴見駅は突き当たりの終着駅です。
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昭和初期の高架ターミナル駅
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京浜東北線ホームから見上げる鶴見線。私鉄だった面影があります。
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1994年2月、鶴見線大川支線で使われてきたクモハ12形が鶴見駅に乗り入れ運転するということなので撮影しに行きました。
鶴見駅に乗り入れて海芝浦などに運行していました。単行運転が鶴見線本線?に入ることは珍しいことです。
実際にクモハ12形が引退したのは1996年3月でした。


鶴見駅のクモハ12

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鶴見線は鶴見臨港鉄道として1926年(大正15年)に開業しました。
鶴見駅への乗り入れは1934年(昭和9年)のことです。昭和初期の雰囲気が残っています。
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2023年10月の鶴見駅

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あまり変化はありません。

1994年に戻って、そのまま海芝浦駅まで行って折り返し。
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乗車人数も多く、鶴見線に最後まで残った旧型国電を名残惜しんでいました。

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次の駅の国道駅
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この高架駅は鶴見駅より早く1930年(昭和5年)に開業しています。
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この先の橋梁は鶴見川ですが、1981年までは昭和初期建造のコンクリートアーチ橋で有名でした。
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高架駅の下は薄暗い。
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当時の新型?車両103系
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2023年10月でも車両は変わりましたが駅の昭和の雰囲気は変わりません。
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