電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

2023年10月

久々に鶴見線の国道駅に行きました。
国道駅は鶴見臨港鉄道として、開業から4年経った1930年(昭和5年)、弁天橋駅から鶴見仮停車場まで延伸時に建設されました。
昭和初期の雰囲気をそのまま残す駅です。
車両は国鉄時代の205系です。2023年冬以降E131系1000番台に置き換わっていくことが発表されています。

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鶴見駅方面のホームを降り、中段の歩道橋を渡り改札口へ降ります。
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鶴見駅側には国道15号(第一京浜)が通っています。
ちなみに同じ国道とつく駅名の阪急今津線、阪神国道駅の駅前は国道2号(第二阪神国道)が通っています。
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国道側へ出る。

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高架駅の側面
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ネットで覆われたコンクリート壁には多数の穴が空いています。
この穴は、太平洋戦争末期、米軍による横浜川崎空襲の機銃照射でできたものです。

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高架下は元は商店が入っていたのでしょうが、今ではほぼありません。
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奥に進んで鶴見小野、弁天橋方面の高架と鶴見川橋梁
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鶴見小野駅、弁天橋駅側を見る。トンネルの中から見るようです。
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天井のアーチデザインは昭和初期に流行ったようです。
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左側に無人改札があります。
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鶴見方向ホームへ向かう歩道橋から弁天橋駅方向を見ました。日中だというのに薄暗い。
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鉄路は昔と変わっていません。
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弁天橋方面から205系が近づいてきます。
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鶴見駅は突き当たりの終着駅です。
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昭和初期の高架ターミナル駅
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京浜東北線ホームから見上げる鶴見線。私鉄だった面影があります。
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1994年2月、鶴見線大川支線で使われてきたクモハ12形が鶴見駅に乗り入れ運転するということなので撮影しに行きました。
鶴見駅に乗り入れて海芝浦などに運行していました。単行運転が鶴見線本線?に入ることは珍しいことです。
実際にクモハ12形が引退したのは1996年3月でした。


鶴見駅のクモハ12

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鶴見線は鶴見臨港鉄道として1926年(大正15年)に開業しました。
鶴見駅への乗り入れは1934年(昭和9年)のことです。昭和初期の雰囲気が残っています。
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2023年10月の鶴見駅

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あまり変化はありません。

1994年に戻って、そのまま海芝浦駅まで行って折り返し。
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乗車人数も多く、鶴見線に最後まで残った旧型国電を名残惜しんでいました。

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次の駅の国道駅
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この高架駅は鶴見駅より早く1930年(昭和5年)に開業しています。
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この先の橋梁は鶴見川ですが、1981年までは昭和初期建造のコンクリートアーチ橋で有名でした。
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高架駅の下は薄暗い。
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当時の新型?車両103系
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2023年10月でも車両は変わりましたが駅の昭和の雰囲気は変わりません。
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尻手から浜川崎支線で浜川崎駅に到着。Suicaタッチせずに鶴見線の浜川崎駅に乗り換えます。

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一旦改札を出て道向かいの鶴見線に行きます。道路には浜川崎支線から鶴見線に繋がる貨物線の踏切があります。
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鶴見線浜川崎駅。
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鶴見方向隣の武蔵白石駅に行きました。
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昔からある高圧線兼用架線柱。
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武蔵白石駅は通過しますが、ここから大川支線が分岐します。昔はここに支線専用ホームがありました。
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大川駅方向へしばらく歩くと白石運河にかかる大川橋があります。

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大川支線の第五橋梁も並行しています。
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この鉄橋の大川方向に、幾つもの穴が空いています。
これは太平洋戦争末期、横浜川崎空襲時の米軍機銃掃射による弾痕だそうです。
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大川支線は鶴見臨港鉄道開業1926年(大正15年)に貨物線として開通していました。
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大川駅。電車の本数は朝夕時のわずかです。
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大川支線の終点です。
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鶴見線の旧型国電が101系に置き換わるというので、写真を撮りに行きました。
弁天橋駅でしょうか?

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72系と101系のすれ違い。この頃101系は新高性能車でありきたりの通勤電車でした。
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スタンションポールに木の床、旧型国電の典型。
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武蔵白石駅
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2023年10月の武蔵白石駅。京浜工業地帯らしい電線の架線柱は変わらず。
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鶴見線は扇町が終点です。武蔵白石駅は大川支線の分岐駅です。
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大川支線へはここから乗り換えます。急カーブにあるホームを20m車は通過できないので17m両運転台車のクモハ12が単行で走ります。
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2023年10月の同じ地点の写真です。1996年3月にクモハ12形が廃車になるのを契機に、武蔵白石駅のホームが撤去されました。大川行きは通過します。

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鶴見方向
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2023年10月。軌道内の雑草が目につきます。
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駅舎は駅看板以外は変わっていないでしょうか。
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1979年12月。武蔵白石駅大川支線ホーム。
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終点の扇町駅。

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南武線は川崎ー立川間の路線で主に神奈川県川崎市を走る通勤路線です。
1927年(昭和2年)私鉄、南武鉄道として開業し、1944年に国有化されています。そもそも多摩川の砂利運搬を目的としていましたが、設立時資金難で浅野財閥(浅野セメント、現太平洋セメント)が筆頭株主になりました。セメント原料である石灰石を奥多摩青梅から浅野が造成した鶴見の埋立地まで運搬できることを狙ったもので、青梅鉄道や鶴見臨港鉄道など浅野系の鉄道会社の一角になりました。
今みられる路線もその面影を多く残しています。

1981年3月はまだ国鉄の頃、17m旧型国電が廃止になるので足を運んだようです。
川崎から一駅、尻手駅から支線が分かれます。南武線の101系と電気機関車ED16?が見えます。

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浜川崎支線の旧型国電、クハ16+クモハ11。
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同じ場所から2023年10月撮影。
205系に変わりE127系が導入されたというので見に行きました。
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尻手駅で折り返し。
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現在も同じくここで折り返します。
E127系は新造車ではなく新潟からの転籍です。首都圏に地方からの転籍は珍しいので話題になりましたが、VVVF制御の省エネです。
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反対側の終点は浜川崎駅。わずか4.1kmの路線長。

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2023年の浜川崎駅。

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ここから鶴見線の浜川崎駅に乗り換えできますが、道を隔てた反対側です。Suicaをタッチせずに改札を出ます。

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旅客駅の隣を貨物線は通過して鶴見線と合流します。
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これ以降旧型国電は神奈川県では鶴見線大川支線のクモハ12のみになりました。
旧型国電については筆者は詳しくないので深入りしないことにしておきます。;)
雰囲気だけでも感じてもらえる写真を置いておきます。

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