「阪神間モダニズム」ということが言われだしたのはそう昔のことではなく阪神大震災前後のことだったようですが、アニメーション映画「火垂るの墓」に出て来たりして有名な「御影公会堂」のような明治後半から昭和前期にかけて建設された「モダン」な建物や建造物が阪神間に多く残っています。
横浜の新興住宅地に育った筆者にとって、両親の帰省で行く神戸の街は古くてもモダンな印象が有りました。もちろん横浜にも多くそう言う建物が残っているのですが、やはり関東大震災と空襲の被害が、神戸に比べ大きかったのか、比較的建築様式が新しいように思います。
阪神魚崎駅は筆者の母方の実家があったところでした。
神戸と言えば一般的に北野「異人館」が有名ですが、こちらは明治の開港以降の外国人住居であり、また三宮、元町から山に上がったところで地元民にはちょっと縁がない所でした。
一方、明治後半、阪神電気鉄道、阪神急行電鉄の開業により、西宮、芦屋を中心に高級住宅地ができて、有力者、実業家が多く移り住むようになりました。
その中心は阪急沿線なのですが、阪神沿線にも灘五郷の実業家が力を入れて立派な建築が出来たのでした。阪神電車の魚崎駅周辺もそのひとつです。有名なのは白鶴美術館とか谷崎潤一郎倚松庵(移築)ですが、有名進学校「灘中・高校」があることは菊正宗、白鶴で有名な嘉納財閥などの力でした。
神戸と言えば一般的に北野「異人館」が有名ですが、こちらは明治の開港以降の外国人住居であり、また三宮、元町から山に上がったところで地元民にはちょっと縁がない所でした。
一方、明治後半、阪神電気鉄道、阪神急行電鉄の開業により、西宮、芦屋を中心に高級住宅地ができて、有力者、実業家が多く移り住むようになりました。
その中心は阪急沿線なのですが、阪神沿線にも灘五郷の実業家が力を入れて立派な建築が出来たのでした。阪神電車の魚崎駅周辺もそのひとつです。有名なのは白鶴美術館とか谷崎潤一郎倚松庵(移築)ですが、有名進学校「灘中・高校」があることは菊正宗、白鶴で有名な嘉納財閥などの力でした。
長くなりましたが、そのころの建築設計で有名な清水栄二設計事務所は先述の「御影公会堂」を手がけていますが、阪神魚崎駅近くにある建物も当時の面影を残しています。
そのひとつが、神戸市立魚崎小学校です。1929(昭和4)年11月に建築されました。
筆者の通った新設校とは全く違って、広い敷地に大きな校舎、プール、動物小屋とそろっていました。母の実家からすぐのところで、叔父叔母はそこの出身でした。犬の散歩で校庭に入ると犬は喜んで走り回るので追いかけるのが大変でした。1965年頃の話です。今は校庭には入れません。
筆者の通った新設校とは全く違って、広い敷地に大きな校舎、プール、動物小屋とそろっていました。母の実家からすぐのところで、叔父叔母はそこの出身でした。犬の散歩で校庭に入ると犬は喜んで走り回るので追いかけるのが大変でした。1965年頃の話です。今は校庭には入れません。
1995年1月の阪神大震災直後の魚崎小学校です。このときは祖母や叔母もこちらに避難して無事でした。建物は清水栄二設計のものがそのまま残っていました。震災にも耐えた頑丈な造りだったのですが残されることはありませんでした。
このように特徴のある建物を、鉄道模型レイアウトに再現したいと思いました。と言いましても実物の雰囲気さえ出せれば良いので、設計図も何もありません。イメージ模型です。
まず、魚崎小学校は、中央の円筒形の階段が特徴です。
自作も考えましたが、曲面は工作が歪みやすいのであきらめ、トミーテックの「ジオコレ」を改造することにしました。
まず、魚崎小学校は、中央の円筒形の階段が特徴です。
自作も考えましたが、曲面は工作が歪みやすいのであきらめ、トミーテックの「ジオコレ」を改造することにしました。

左右の教室部分は「病院B」、特徴ある中央階段部分は「円筒形ビル」を流用して組みあわせてみました。まだ「中学校」が発売になる前でしたが、窓の雰囲気が普通の学校とは違うのでこれで良かったかな。
むりやりですが、雰囲気は出せたでしょうか。ここは自己満足の世界です。
むりやりですが、雰囲気は出せたでしょうか。ここは自己満足の世界です。

一方の旧魚崎役場ですが、こればかりは流用できそうな素材が見つからず、四角い形状から、思いきって紙製にしました。
撮影した写真をベースにパソコンで展開図を起こし、色も写真から持ってきました。それをプリントして、厚紙に貼付けて工作しました。
撮影した写真をベースにパソコンで展開図を起こし、色も写真から持ってきました。それをプリントして、厚紙に貼付けて工作しました。

背面はあっさりです。レイアウトの都合でこちらには駅との連絡通路を付けましたので目立たなくなりました。

建設中の鉄道模型レイアウトに配置してみました。

レイアウトセクションですが分割式レイアウトの一部なので、走行優先です。したがって本線の横に本線がまた通るという不自然な状況です。このあたりはいずれまたこのブログで紹介して行きます。お楽しみに(笑)。


1975年ごろの阪神電車沿線をレイアウト化してみました。あのころの神戸は震災前で、まだまだ明治、大正、昭和の街が混在した「モダニズム」が残っていました。これら建造物も、コンクリートの耐用年数を超えてきました。魚崎小学校や甲子園球場のように雰囲気を残して改築されるのが良いのか、より新しく変化するのが良いのか、わかりませんが、関東と違って関西は前者のような欧州的な変化がふさわしいと思います。