電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

カテゴリ:阪神電車の風景 > 魚崎駅

「阪神間モダニズム」ということが言われだしたのはそう昔のことではなく阪神大震災前後のことだったようですが、アニメーション映画「火垂るの墓」に出て来たりして有名な「御影公会堂」のような明治後半から昭和前期にかけて建設された「モダン」な建物や建造物が阪神間に多く残っています。
横浜の新興住宅地に育った筆者にとって、両親の帰省で行く神戸の街は古くてもモダンな印象が有りました。もちろん横浜にも多くそう言う建物が残っているのですが、やはり関東大震災と空襲の被害が、神戸に比べ大きかったのか、比較的建築様式が新しいように思います。
阪神魚崎駅は筆者の母方の実家があったところでした。
神戸と言えば一般的に北野「異人館」が有名ですが、こちらは明治の開港以降の外国人住居であり、また三宮、元町から山に上がったところで地元民にはちょっと縁がない所でした。
一方、明治後半、阪神電気鉄道、阪神急行電鉄の開業により、西宮、芦屋を中心に高級住宅地ができて、有力者、実業家が多く移り住むようになりました。
その中心は阪急沿線なのですが、阪神沿線にも灘五郷の実業家が力を入れて立派な建築が出来たのでした。阪神電車の魚崎駅周辺もそのひとつです。有名なのは白鶴美術館とか谷崎潤一郎倚松庵(移築)ですが、有名進学校「灘中・高校」があることは菊正宗、白鶴で有名な嘉納財閥などの力でした。
長くなりましたが、そのころの建築設計で有名な清水栄二設計事務所は先述の「御影公会堂」を手がけていますが、阪神魚崎駅近くにある建物も当時の面影を残しています。
そのひとつが、神戸市立魚崎小学校です。1929(昭和4)年11月に建築されました。
筆者の通った新設校とは全く違って、広い敷地に大きな校舎、プール、動物小屋とそろっていました。母の実家からすぐのところで、叔父叔母はそこの出身でした。犬の散歩で校庭に入ると犬は喜んで走り回るので追いかけるのが大変でした。1965年頃の話です。今は校庭には入れません。
昔のままの校門が南側にあります。
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中を見ると広い校庭が見えます。
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この校舎は、2001年に立て替えられましたが、外観はかつての面影を残しています。

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1995年1月の阪神大震災直後の魚崎小学校です。このときは祖母や叔母もこちらに避難して無事でした。建物は清水栄二設計のものがそのまま残っていました。震災にも耐えた頑丈な造りだったのですが残されることはありませんでした。
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魚崎小学校の対面にあるのが、神戸市東灘区区民センター分館です。
この建物も清水栄二設計で、旧魚崎町役場として1937(昭和12)年に建設されました。

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由来が玄関脇の立て看板に書かれています。

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筆者の弟妹はこの建物の中で生まれています。1964ー6年頃の話です。当時ここは東灘区にある市民病院でした。この建物の西側窓から魚崎駅に駆け上る阪神電車が良く見えました。
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今はデイケアサービスの拠点になっているようです。祖母も晩年、ここに通っていました。
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このように特徴のある建物を、鉄道模型レイアウトに再現したいと思いました。と言いましても実物の雰囲気さえ出せれば良いので、設計図も何もありません。イメージ模型です。
まず、魚崎小学校は、中央の円筒形の階段が特徴です。
自作も考えましたが、曲面は工作が歪みやすいのであきらめ、トミーテックの「ジオコレ」を改造することにしました。
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左右の教室部分は「病院B」、特徴ある中央階段部分は「円筒形ビル」を流用して組みあわせてみました。まだ「中学校」が発売になる前でしたが、窓の雰囲気が普通の学校とは違うのでこれで良かったかな。
むりやりですが、雰囲気は出せたでしょうか。ここは自己満足の世界です。
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一方の旧魚崎役場ですが、こればかりは流用できそうな素材が見つからず、四角い形状から、思いきって紙製にしました。
撮影した写真をベースにパソコンで展開図を起こし、色も写真から持ってきました。それをプリントして、厚紙に貼付けて工作しました。
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正面玄関部の装飾が特徴ですが、窓も特徴的です。いずれも写真から起こした図を使っています。複雑すぎて窓を抜くことは諦めました。
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背面はあっさりです。レイアウトの都合でこちらには駅との連絡通路を付けましたので目立たなくなりました。
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建設中の鉄道模型レイアウトに配置してみました。
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レイアウトセクションですが分割式レイアウトの一部なので、走行優先です。したがって本線の横に本線がまた通るという不自然な状況です。このあたりはいずれまたこのブログで紹介して行きます。お楽しみに(笑)。
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1975年ごろの阪神電車沿線をレイアウト化してみました。あのころの神戸は震災前で、まだまだ明治、大正、昭和の街が混在した「モダニズム」が残っていました。これら建造物も、コンクリートの耐用年数を超えてきました。魚崎小学校や甲子園球場のように雰囲気を残して改築されるのが良いのか、より新しく変化するのが良いのか、わかりませんが、関東と違って関西は前者のような欧州的な変化がふさわしいと思います。

このブログは、「阪神電車の風景」という表題で1999年に作り始めたホームページが容量オーバーになってきたために「阪神電車の風景書庫」として増結したものです。しかし本家のホームページの運営会社があやしくなってきたので、少しずつ元の記事を移していきます。
また画像も、スキャナーで読み取った画像を1999年当時の遅いインターネット環境のため小さくしていましたが、せっかくなので、同じネガ、ポジからデジタル一眼カメラでデジタル化して大きく掲載することにします。 

 以下の記事は、1999年最初に作ったホームページの記事(思い出の魚崎駅周辺)です。


 思い出の魚崎駅周辺(1999年7月1日作成。2000年1月25日更新 )

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1983年7月30日「夏休みの阪神沿線」

そもそも阪神電車のファンというのも、鉄道ファンの中ではマイナーでしょうし、その中でも魚崎駅と いったところで利用者以外、一体何人の人がわかるでしょうか。魚崎は灘五郷の一つで有名な酒蔵も多いのですが、先の震災で古くからの酒蔵はなくなってしま いました。NHK朝ドラでやっていた「甘辛しゃん」の主人公が通っていた小学校が魚崎小学校だったので、この辺りの話なのかと思ったのですが、昭和40年 当時に魚崎に砂浜はなく考証が狂っていたのか、魚崎郷ではなかったのかは不明です。

筆者個人の思い出としては、ここに母の実家があったので幼い頃からよく行きまして、かならず阪神電車の魚崎駅を使っていたのです。父に実家のある三宮から国鉄の摂津本山駅、バスというルートもあるのですが阪神電車が好きな3歳の筆者は泣いて嫌がって阪神電車に乗らざるを得なかったそうです。
駅の横を流れる住吉川の橋から見る阪神電車は子供の目には電車の中の電車でして、颯爽と通過する西大阪特急や本線特急も然るこ とながら、各停の青い電車が日本一の加速度を生み出すモーター音で魚崎駅を発車する様は、今でも心に残っています。これが僕の鉄道趣味の根っこです。
 
さて、写真はまず1979年3月の写真に始まります。これは初めて買った一眼レフ(オリ ンパスOM-1)で最初に入れたフィルムの駒です。

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 魚崎駅西方に流れる住吉川のたもと山側から梅田方向(東)を狙ったこの構図は、子供の頃 から見てきた構図でして、駅舎が1970年前に改築された(駅改札上下別、踏み切り横断 から 駅改札地下化)以外はほとんど変わらない景色でした。

ここは梅田方向(下り)からも、三ノ宮方向(上り)からも上り勾配で一気に駆け上がり、下るのですが、一番高いところが住吉川鉄橋です。阪神間の川は天井 川が多く、川底より、周囲の土地の方が低いのです。ちなみに上流のJR東海道線は鉄道が川の下をくぐります。
阪神電車は明治の開業で、日本初の都市間電気鉄道として誕生しましたが、当時の軌道法の関係で梅田(当時は出入橋)、御影、三ノ宮付近は道路併用軌道(い わゆる路面電車)でした。その鬱憤をはらすがごとく、専用軌道では当時から高速運転がされていたようです。芦屋-魚崎間は阪神でも速度制限のない(最高速 度は現在106キロ/時、ATS導入以前はそれ以上で走っていた、らしい)最長区間であり、もっともスピードを出す区間なので、住吉川鉄橋を渡るスピード は(通過電車は)最高速度に近いわけです。それがガーター橋の左右に何もない所を走り、至近距離で見ればそれはすごい迫力でした。

上左に写っている新5001形は、デビューが1977年でまだ32両全部揃う前でした。 今となっては代替え廃車となった5201形であったなら良かったのに・・と思います。でも梅田行きの最後尾が5101形なので、ちょっと良かった。 (5201、5101形は1959年デビューで1960年生まれの筆者にとって同期生の思い入れがある車両なのでした)

駅舎の上の大きな二段の架線柱は、阪神電車の特徴の一つでした。戦前からこのような大掛 かりな設備を備えていた電気鉄道はそうなかったはずです。戦前は電力供給事業を阪神電車がやっていたことがあって、(収入としても大きかった)その電線 や、電車の運転本数が当時としては高密度であったことから、電圧確保からこのような大掛かりな設備を持つようになったと言えます。
いまや一種のモニュメントのようです。 

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2000年1月25日追記
同じ場所から撮った現在の写真です。(1999年10月11日)駅舎が橋上になってい て、六甲ライナーに接続しています。上に六甲ライナーの高架橋が見えます。橋は見えません。また防護柵が邪魔で電車が良く見えません。残念です。
 
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次の写真は駅の梅田方向を見たもので、浜側(南)と山側(北)の写真です。浜側の写真の 奥には倉が写っており(白壁の倉です。ちょっとこの写真では分りづらいですが)、これはおそらく戦前からあった倉です。山側の写真は、この細い道の先に母 の実家があったので、今でも懐かしい景色です。 
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さて橋の浜側から見ると六甲山が見通せる美しい光景になります。住吉川左右は遊歩道で、築堤上には桜並木があります。春はきれいです。上流は六甲山がそびえます。

こんな風景が大阪と神戸の中間で見られるのです。京浜急行の品川ー横浜間では残念ながら 見ることのできない光景です。

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青胴車5141形が写っている方(上)は1986年11月23日の、5261形(下)は1985年8月16日の写真ですが、ほとんど変わっていないのが わかります。 

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2000年1月25日追記
構図がちょっと違いますが、現在の魚崎駅浜側から山側を見た写真です。(1999年10 月11日)住吉川は両脇に遊歩道がありますが、これは昭和40年代、人工島、六甲アイランドを埋め立ての際、六甲山中腹の開発現場から海へ土砂を運ぶダン プカーの専用道でした。今では静かな遊歩道で、これはこれで良い景観なのですが、阪神電車も含めた風景になっていないのが残念です。何だか隠されたみたい。
 
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24ミリ広角レンズで山側を狙った写真は1983年7月の写真で魚崎駅周辺に数多くあっ た松がかなり減ってしまって、かろうじて残った松を入れて撮ったものです。住吉川西方から神戸方向を見たもので、この先住吉駅までの間にある大カーブは松原曲線というくらい松の多いところでした。明治時代の阪神の写真にここが写っていてうっそうと松が生えていました。線形は当時のままです。7701形の写 真は1985年3月のものですが左奥に松原曲線が見えます。 
1983年7月
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1983年7月
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1983年7月
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1985年3月
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2000年1月25日追記
松林の入った写真に近い構図で撮った現在の写真です。(1999年10月11日)

高架工事は、現在魚崎西方から下り勾配で降りた後、急曲線(松原曲線)で上り勾配にはい り、昭和初期の高架橋住吉駅に至る線形を改善するための工事です。ここは70キロ速度規制があって工事の必要性も分りますが松を残すことはできなかったの でしょうか。なお、この写真の線路は仮線で、海側に寄せてあり、山側に高架橋ができます。 

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最後に魚崎駅から梅田寄り青木(おおぎ)駅方向に少し行くと地平区間になるところの写真 です。ここは先ほど述べた架線柱が立派に見えるところで50ミリ標準レンズでなんとか全景を入れることができました。なお、新8000系の写っているのは 後年の写真で1992年3月のものです。 

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1992年3月
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1992年3月
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1992年3月
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2000年1月25日追記
そしてやや構図が違いますが、その後の同地点です。(1995年11月26日、1996年7月28日)実はこの付近にある魚崎市場は全壊し、道路沿いの家もかなり壊れたので、今でも空き地が目立ちます。写真を撮る時は空き地も入れた 構図も撮ったのですが、やはりここには出せません。特に1995年当時は撮影も控えました。さて、写真では架線柱が一段になってしまったので、以前のよう な構図で撮る意味もなく、平凡ですが、変化が分るでしょうか。
 
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これらの何気ない風景は長年に渡りのどかに魚崎駅周辺の風景としてあったので、そのとき はあまり意識して撮らなかったのですが、1991年六甲ライナー開通で魚崎駅が全面改築となり橋上駅舎になり、さらに1995年の阪神大震災後この区間の 架線柱が一段になってしまいます。あの倉も全壊してしまいました。そして1999年現在松原曲線の高架化工事で松林がなくなり、ついにこれらの写真は全く 再撮影ができなくなりました。 

1999年7月1日作成。2000年1月25日更新 

2.魚崎風景の記憶
2002年2月16日記述
ここでは、少し(大分?)昔の阪神電車魚崎駅で撮った写真にお付き合い下さい。
二大都市間とは思えないのどかな風景と、そこを爆走する阪神電車です。
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2-1.少し前の魚崎駅の風景 1983年

阪神魚崎駅は神戸市東灘区、住吉川の畔にある駅です。

阪神電車の駅は川の上にある駅(芦屋、武庫川)や川の畔にある駅(淀川、香櫨園、石屋川など)が数多くあります。阪神間の特徴として天井川とい う、川底が周囲の土地より高い位置にあるという特殊地形の影響で、線路も勾配の頂上に駅があります。最近は高架化されてはっきり分からないようになりまし たが、阪神芦屋駅と魚崎駅はアップダウンの激しい線形が残っています。近年、魚崎駅西方、松原曲線が改良高架化されました。



一枚目、二枚目の写真は、住吉川西岸の道路から、魚崎駅方向(梅田方向)を見た構図で、筆者が子供の頃、阪神電車を見る定位置で あった。
一枚目は、浜(南)側から山(北)側を望んだ、住吉川鉄橋が最もきれいに見える位置である。鉄橋そのものは短いが、電車の足回りが 至近距離で見える。なお、阪神間の川は大水害を起こしたことから治水工事が行われ、また、六甲山開発の土砂を浜の埋め立てに使うため、1965(昭和 40)年頃にはダンプカー専用道路が住吉川両岸を走った。今では遊歩道になっている。
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二枚目は、山側から望んだもので、洒落た欄干の道路橋がかかっている。橋の取り付きのところがふくらんでおり、ここが子供でも安全 に見られる特等席だ。何時間粘ったことか。
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三枚目の写真は一枚目の写真のさらに西方から駅方向を撮ったものであるが、望遠レンズなので圧縮効果で距離が詰まって見える。当時 の魚崎駅は各駅停車のみ停車の小さな駅であった。駅舎は地下にある。その昔、1970年以前は写真の地下へ降りる階段付近に駅改札があった。駅の浜側に は、灘五郷のひとつ魚崎郷がある。以前は古い酒蔵が残っていた。
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四枚目の写真は、魚崎駅浜側の地下改札入り口である。お巡りさんが写っているが、撮影した右に駅前交番がある。魚崎駅周辺は阪神電 車沿線ではめずらしく山の手的雰囲気の住宅地であるが、そのためか駅前には商店街がない。静かな雰囲気の駅である。奥には松の木が見えるが、さらに奥には 白壁の倉があった。
筆者はこちら側の改札通路を使うことはなかったので馴染みが薄いが。
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五枚目のみ1979年の写真であるが、今でもそれほど変わらない。魚崎駅から山側の道を梅田方向へ向かった所である。「思い出の魚 崎駅周辺」でお見せしている写真だが、筆者にとっては魚崎駅といえばこの風景を見ると「帰ってきた」気がする。この先に親戚の家があって、そこに滞在して いたからである。
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こちらは浜側から山側を見た構図の小さなガーター橋
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魚崎の親戚は震災後転居して、2003年当時は、摂津本山に住んでいたのですが、筆者は神戸に行くと、そこからこの魚崎駅まで2キロほどわざわざ歩くこと が多い。ちなみに阪神間では3本の鉄道が走っているので、駅まで2キロも歩くことなど無いと言って良い。筆者の住む横浜ではざらにあることですが。
ちなみに魚崎駅は今では六甲ライナーの接続駅で橋上駅舎となっています。
(2002年2月記述)

2-2.住吉川鉄橋で見た阪神電車
2002.2.16記述

以下の写真は、1972年以前に撮影したものです。ネガは現存しないので、今は懐かしい絹目プリントのスキャン画像です。カメラもペトリ(知っ てますか?)。父親のカメラを持ち出して撮影したので阪神電車ばかり撮ると怒られました;)
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初期ジェットカーの後期型。大型前側パンタグラフ、埋め込み幌、バランスの取れた前面。廃車後も台車、モータは5131、5331 形に転用された。 

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5201形ファーストナンバーはステンレス車。二両のみの試作的車両で、5203以降は普通鋼製青胴車。ジェットシルバーの愛称が あった。二両のみの希少価値で人気があったが1977年廃車 

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7861・7961形
二両編成の西大阪(N)特急。本線特急より速かった。三宮から西九条行き。今ならUSJ行きだろうか。1974年12月廃止*。 7861・7961形は現存。
線路際の松が美しい・・。
(*休止が正式。当時の鉄道ピクトリアル阪神特集303号には廃止とある。事実上廃止ということか。>10年後なんば線快速急行として復活) 

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5001形(初代)5001
日本一の加速性能を誇る「阪神ジェットカー」の先行試作。5001-5002のみの形式だった。新製時は正面二枚窓(旧湘南型)、 クロスシート!。色はクリームに緑だったと言うが見た記憶がない。(1960年改造)1977年廃車。 

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5261形
冷房改造される前の姿。神戸の夏は暑い。阪神電車は車両の冷房改造に熱心で、大手私鉄で最初に全車冷房化した。そのため従来車の廃 車が早まった。
5261形は冷房化後も生き長らえ、2000年廃車 

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5201形
魚崎駅に進入・停車する各駅停車、ジェットカー。 

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5201形
住吉駅へ加速するジェットカー。上のジェットカーと比べると埋め込み幌の金枠がグレー塗装である違いがある。3801、新5001 以降ではこのグレー塗装が標準になったが、それ以前の形式はボディと共色だった。従って比較的珍しい写真である。 

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7801・7901形
三宮方向へは勾配を駆け下り、松原曲線を抜けて行く。70キロの速度規制があるので、最高速度106キロできた特急は急ブレーキを かけて坂を降りてゆく。 

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新5001形
1977年、ジェットカーの冷房化推進のため新造された。この写真は1983年撮影。景色はそれほど変わっていない。その後六甲ラ イナー開通によって大きく変わった。

2-3.魚崎-青木間快走
2002年2月16日記述

魚崎駅山側(北側)の道を線路沿いに梅田方向へ進むと、車がすれ違えないほど狭い道となって、道からは電車が見えなくなります。やがて、南北に 走る道路と交差します。この道路は、つい最近まで神戸市バスが走っていた通りですが、阪神電車のガードは低く、道路も少し下がって、桁下高さを稼いでいま す。1965年頃は阪神のガードはさらに低く、道路も未舗装で、掘り下げた道路には雨水がたまっていました。よくトラックが立ち往生していたようです。 
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ここから先は、阪神が地平に降りてきて、道路から電車がよく見えます。線路沿いの道は隣の青木(おおぎ、昔はあふぎ、あうぎと表記)駅の手前ま で続き、そのまま青木駅まで行くことが出来ます。先のガードから、次の横屋踏切まで交差する道路もなく、南北の往来が不便です。

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ですがその間にもいくつか桁下高さの低い歩行者用ガードがありま す。この低さが尋常ではない低さで、その一つ、「地蔵前溝橋」は1.4m。 
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2001.5撮影

魚崎小学校出身の母から聞いた話では、昔魚崎小学校へ阪神の南側から通う児童が、近道をしようと線路に入り亡くなるという事故が何度かあったそうです。その供養のため 地蔵が建てられ、ガードが造られたそうです。真偽のほどは不明です。実際に、震災までこの写真の一方通行の標識付近にお地蔵さんが祠に入って祀られていま した。しかし、震災で倒壊して無くなってしまいました。
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この下にいて電車が通過すると怖いです。
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この区間、芦屋から魚崎までは阪神の中でも線形の良い所で、駅間距離も2キロ程度と阪神電車の中では長い方なので、ジェットカーも最高速度90 キロに達します。阪神ジェットカーは本当に加速が良いので、ある意味、特急よりもスピード感溢れる運転がされます。
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次にここにご覧いただく写真は、そんな最高速で走る阪神電車です。
撮影は1977年7月です。カメラはオリンパスペンEE、ハーフサイズカメラで す。このカメラも良く写りました。ネガはありませんので、プリントをデジカメで複写したものです。 

5201形
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夕方ちかい時刻だったと思うのですが、すこし赤みがかった西空がバックに、逆光の5201形です。阪神電車は東西方向に走る路線な ので、朝、夕は正面から光が当たるか、逆光か、印象的な光線状態となります。この写真はお気に入りの写真なのです。ネガはなくプリントでは夕方の色が出てこないのが残念。

7701・7601形
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この形式は5201形に次いで好きな形式なのですが、写真が余りありません。もとは3601・3701形で、1961年阪神初の付随車(電動車に付随している、モータのない車)が3701であった。1971 年に冷房改造の際、制御系をサイリスタチョッパに改造、電気ブレーキを廃止したので、7000番台になった。3501形と同じ車体なのですが、7000番台になったので編成を組まず、形状の違う7861などと組んでいましたから 「凸凹編成」などといわれていました。

7101・7001形
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日本初の電機子サイリスタチョッパ制御電車で有名?。営団地下鉄6000系が最初と思われているが阪神の方が早い。もっとも省エネ ルギーとなる回生ブレーキは備えていない。

ちょうど大阪万博のある1970年にデビューしました。当時阪神初の冷房車で話題でしたが、筆者は「なんで特急が普通車みたく両開き扉やねん」と思っていました。(それまでの急行系は客用扉は片開き扉でした)また妙におでこが広く、これも「クーラーが付いたからやな」と思っていましたがその後以前の形式も冷房化され、わからなくなってし まいました。2000系に改番され、スカートが付いています。

7801・7901形(最終形)19770803-6

上の7001形と組むため、7801形増備車ながら車体形状と冷房装置を同じくしたため、全く別形式に見える。阪神では形式を急行系では3000番台が電気ブレーキ付き、7000番台を空気ブレーキのみ、と区別し、その中ではどの形式とも組めるよう性能を揃えていたので自由に編成が組めた。
形式の解らない当時は7001形と区別できなかったのですが、後にそれ以外の7000番台と編成を組むようになったため、「凸凹編 成」が際だっていました。現在は2000系として旧7001形と固定編成を組んで、きれいな編成になっています。
 

7801・7901形(初期型)
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1963年にデビューしたこの形式は、1971年まで増備され、一時は阪神電車のなかで一番大所帯の90両を数えた。だが、先述の ように見た目は三種類に分かれる。初期型は片開き扉、正面が完全平面、正面幌の埋め込み廃止、車体下部のR(丸め)廃止、と客室内も運転席後座席廃止、蛍 光灯カバー廃止。
阪神の中では武骨な印象の車両で、筆者はあまり好きではありませんが、写真に撮ったのは一番多く、写真写りは良い感じがします。電 車好きは運転台の後に乗りたがりますが、他の4両固定編成(7001、7701)が先頭はTcでモータがないのに対し、この形式はMcなので、走行中の モータの唸りが大きく、よりスピード感がありました。3000系に改番されて現存しますがもうすぐ無くなる車両です。

5261形(初期)

 5151形(冷房、電機子チョッパ改造後)
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この写真だけ1984年のものです。5151形は5151・5152の二両のみ、1964年製、初期ジェットカーの最終形である。1980年、冷房改造、回生ブレーキ 付き電機子チョッパ改造。阪神初の省エネカーとなった。
1995年、廃車間近の頃、阪神大震災で被災、廃車となる。
これは好きな車両でした。二両だけなので写真に撮る機会が少なく、カラー写真がありません。前側パンタグラフを維持して冷房化され、初期ジェットカーの面影を残していただけに、無念の廃車でした。



(2002年に書いたもので、内容はその当時のものです)

この記事の写真は2002年当時最新のコンデジNikonE990で撮影したのですが、今となっては色が再現できず薄い色になってしまいましたが、それも時代ということで。
2002年4月30日に撮影した魚崎駅から青木駅方向に散歩したときの”記憶”写真を紹介します。

現在の魚崎駅は六甲ライナーと接続する橋上駅舎です。
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山側の道路を梅田方向(東)へ歩き出しました。
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1979年の写真です。同じようでホームの長さとかマンションとか違いますね。
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細い側道は、いま(2002年)工事中。震災後、立て直したお宅はすべてセットバックをとって、道路へ土地を提供したのです。各ご家庭の事情まで伺い知ることは出来ませんが大変なことです。
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この区間は近く高架化工事にかかります。その工事用敷地ということもあって道路が広がります。
魚崎から青木まで天井川である住吉川から急勾配で下ります。
半地下道の山側入り口。
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 その浜側入り口。
この区間はまだ築堤なので南北の生活道路が踏切ではなく”立体交差”です。
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ここは「地蔵前溝橋」。震災前はお地蔵さんがいました。
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立体交差とはいえ、1.4mの高さ制限。ここを自転車で抜けていくおばさんはさすが地元。
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魚崎横屋踏切。このとなりの横屋東踏切は「十二間道路」といわれる広い道路だが、こちらは自動車禁止。
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梅田からの電車はやや右カーブして魚崎へ加速。良い構図。
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阪神公式ページ「まにあっく阪神」(*現在廃止)の「歴史のある風景」でも紹介された川のない橋。「横屋避溢(ひいつ)橋」と言います。
かつての阪神大水害のような洪水時に阪神電車の軌道は土嚢代わりになるのですが、一部下流へ水を流すためだそうな。もちろん今ではそんなことはないでしょうが。
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ここも結構いいポイントだ。
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「天井川(川の名前)」のほとりにお地蔵さん。
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青木(おおぎ)駅は明治時代から待避線付きの駅。震災時には初めてこの駅まで開通したとき、他の鉄道に先駆け神戸市内に乗り入れたと、ニュースになった。
高架工事の工事完成予想図がありました。
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この記事は2003年、阪神タイガースが久しぶりにリーグ優勝した時の記事です。
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 阪神電車魚崎駅から大阪寄りの横屋踏切付近の地上区間は筆者のなじみの深い区間である。
神戸市内連続立体交差工事の開始によりこの区間も変貌しようとしている。
2003年、本格的に工事が始まる直前の地上区間の記録写真である。

魚崎駅から梅田方向へ駆け降りる5500系ジェットカーです。
これから高架工事で、ホームの高さからほぼフラットになるようです。加速するにはこの下り坂がちょうどよいと思いますが、フラットになったら逆に遅くなったりして。
逆に梅田からの電車は上り坂ですが、最近は日中ほとんどの電車が魚崎駅停車なので、運行速度への影響は少ないと思うのですが。 
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工事で仮線が建設される山側の道路。筆者にとって歩き慣れた道も工事が始まっていました。 
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このガード下は道路が凹んでいます。ここはバスが通るため桁下高さを稼ぐためです。
以前は阪神のガードがさらに低く、道路ももっと凹んでいたため、雨水はたまるし、大型トラックはつっかえるし、大変でした。昭和40年頃の話ですが。
このガードも高架工事でさらに上に上がるようですから、道路がフラットになるかも知れません。
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魚崎駅から梅田目指して駆け下りる直通特急。8000系改造車。
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 同じく直通特急、山陽5000系。このときは阪神リーグ優勝の記念ラッピング塗装電車だった。
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 各停のすれ違い。ジェットカーは駅からわずかの距離の間に、最高速度まで加速します。
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今はなき準急。
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新鋭5500系
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夏の盛り。サルスベリも咲いていました。この日も暑かった。 
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「地蔵前溝橋」このガード下は1.4m。自転車に乗ったままくぐり抜けるのはさすが地元。 
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「地蔵前溝橋」 から見上げる形になるこの構図は金網の隙間から。電車の大きさ、重量を肌に感じる。
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横屋踏切から、カーブを切って登坂しようとするジェットカー。
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新鋭9300系も魚崎停車のためここから減速。
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加速する9000系。2000系は急行なので魚崎通過。特急が止まる駅を急行が通過するというのは、阪神以外ではあまり見ない光景。
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横屋踏切近くから見るこの構図は、筆者の好きなポイントだった。
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これを撮影したときは、水道管などの付帯工事が始まっていました。
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この写真は、魚崎横屋踏切(歩行者専用の踏切)で撮影したもので、速度制限の無いこの区間で、カーブを切って立ち上がってくる迫力のある構図が気に入っていました。
朝日をバックに逆光で撮ろうと早起きしていったのですが、夏だったので日の出の方がずっと早く、イメージ通りには行きませんでした。でも通勤路線である阪神電車らしい写真になったのではないでしょうか。 
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 何となく郷愁を誘う字体。
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夕方の踏切。
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 「横屋避溢(ひいつ)橋」 を通過する8000系。高架になったら洪水の時の「防水堤」にはならないのだが、阪神大洪水も昭和初期のお話し。その名残も消える。
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震災から復活した町並み。阪神電車は変わらず走るが、それも新しい高架に変わる。
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西日を受けて魚崎駅へ駆け上がってくる新ジェットカー5500系。
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1980年の阪神御影駅。隣には長崎屋があって賑わっていました。

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西側を見ると、阪神急行線計画の名残り、複々線になっており、留置線として使われていました。
阪神大震災時には土盛が崩れて、 車両が転倒しました。復旧時に線形も変わりました。
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当時の優等列車は2番線に停車。
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1番線には各駅停車。
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下方面は3番線に優等電車、4番線に各駅停車。
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この写真は魚崎駅。
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夏の夕方の魚崎駅です。松並木が涼しげです。
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阪神電車は東西に走るので、西日が印象的。
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魚崎駅西側の住吉川鉄橋。住吉川は六甲アイランド埋め立てのために六甲山から土砂を運ぶトラックの専用道路を川底に作りました。工事終了後は遊歩道になりました。
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 六甲ライナー建設前、長閑な住吉川鉄橋です。

1983年の夏休み、朝から暑い日でした。

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