電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

カテゴリ:阪神電車の風景 > 神戸三宮駅

阪神三宮は神戸三宮駅に名称変更。
その地上部には三宮阪神ビルが1933年に建てられてすでに85年近く経つ。
テナントは神戸そごうとして神戸市民には馴染みのデパートだが、このビルのの建て直し計画が上がっており、その際テナントも変わりそうだ。
歴史のあるビル壁面
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昔の写真を見ると阪神電車が地下駅だったので「地下鉄」入り口になっていた
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シャンデリアのようだった照明がLEDになっていた。
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大理石の壁面
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昭和初期の建築を示す各部意匠

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降りると阪神神戸三宮駅
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阪神電車も青胴車ができて58年、この塗装もいつまで続くか
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現在梅田の阪神百貨店(大阪神ビル)は半分ずつ改築中。
阪急阪神ホールディングスのもと、後方の新阪急ビルと合体。
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阪神電車の神戸三宮駅は、2014年に大改装工事が終わった後、阪急電鉄に続き、駅名が三宮駅から神戸三宮駅に改称されました。しかし、昭和11年に阪神電車のターミナル神戸駅から(阪神)三宮駅に改称してから長らくその構造は変わりませんでした。
2002年、まだ駅改装工事も始まっていない頃に、期待を込めて書いた記事です。

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阪神三宮駅は開業時には地上の、路面駅であった。1911(大正元)年神戸市電と接続する滝道(今の花時計辺り)が終点になった。当時は今の三宮の位置に省線の駅はなかったので不便だったためという。(阪神三宮の位置は今の駅の地上にあった)1933(昭和8)年6月17日、神戸市内の道路併用区間が岩屋から地下線になり三宮が地下ターミナル駅として開業した。しかし、1936(昭和11)年3月18日に阪神が元町駅まで伸延し、三宮駅は再び途中駅になった。なお同じ頃国鉄が高架化、阪急が上筒井から三宮まで高架線で伸延して今の三宮の形になっている。
今では名実共に神戸の中心駅である三宮だが、意外にも阪神の終点駅であった期間は短いのである。

筆者の親の実家が三宮の近くにあるため、幼い頃から馴染みのある駅です。が、それほど気に入っていないのは、阪神電車が地下で見えないためと、昭和40年代当時は、駅周辺の治安も悪く、道路に寝ている人がいても気にしないで歩くような所だったためでしょう。「戦後」がずっと残っていました。 
神戸そごうの地下に阪神三宮駅があります。震災で損傷しましたがきれいに修理されました。
このビルは三宮阪神ビルで、1933年開業時からそごうが入っている歴史のある老舗です。さんちか地下街も同時に出来たようです。これも古い。 
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(2000年5月撮影) 

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(1996年7月26日撮影:震災復旧直後)

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(1982年4月)
なお、そごうの外装は22年程前までは戦前のままの重厚な(日本橋高島屋のような)ビルでした。写真は外壁改装工事の始まった1981年3月、ポートピアが開催されたころのものです。
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(1981年3月24日 )
 
JR三宮ガード下にあるさんちか入り口は、阪神三宮、神戸地下鉄の入り口でもあります。今でこそきれいなエスカレータの付いた入り口ですが、1980年頃までは、丸い形状の、よく言えば劇場型の、階段でした。その頃の方が込み合っていたように思うのですが、ともかく人が多い印象でした。
ちなみに最近朝日新聞に出ていた、1938年神戸大水害の時の三宮駅の写真は、ガード下に激流が流れていました。当然阪神は不通でした。この入り口が写っていましたが、「地下鉄」の表示がありました。神戸地下鉄は1980年頃の開通なので当時は地下鉄といえば阪神だったのでしょう。 
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 (2002年8月撮影) 

このエスカレーターを降りると阪神三宮駅の改札です。
こちら側の改札が出来たのは、エスカレーターが出来てからで、それまではわざわざそごう側の切符販売機で買って、さんちか側の改札から入る、いささか不便な構造でした。(そごうの客にとっては好都合)
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 (2002年8月撮影) 

1番線、大阪梅田行きホーム。柱が多いのは戦前の作りだからです。入線してくる2000系が見えるのは元町方向へ向かう2番線です。
さらに奥には3番線がありますがこちらは終点になっています。昔は西九条行き西大阪特急(N特)が発着していましたが、近年は快速急行や普通が発着します。5両分しかホームがないので、急行はドアカットします。
地下線は架線の高さが低く、パンタグラフを低くまで下げて入線しますが、今の下方交差タイプでなく昔の大型パンタグラフは、ほとんど下げきったような形でしたから違和感がありました。 
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(2000年5月撮影)

0番線は梅田行きの降車ホームです。1番線が上の写真のように柱があって狭いので、工夫されたものですがすぐに乗車側の扉も開くので完全に乗降分離はされていません。さらに上り電車のホームからはエスカレーターがないので狭い階段を昇らなくてはなりません。
しかし、昔は隣駅の元町が始発だったので、降車する人は少なかったはずなので、三宮の開業時からさらに西への伸延計画があったことがうかがえます。ちなみに湊川まで伸延する特許は出ていたようですが、神戸高速鉄道の建設によってなくなっています。 
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(2002年8月撮影)

ところで、余談になりますが子供の頃(1970年頃まで)はヘッドライトと識別灯の他に、特急ヘッドマークのVマーク?中央にもライトが入っていて、三宮入線時は5個のライトが光って区別できました。貫通扉正面に付けられたヘッドマークは昨年まで使われていましたが、ライトはなかったのです。あれはどこへ行ったのだろう?
昭和30年代の特急の写真を見ると運転席下にヘッドマークが付いており、Vマーク?の色は濃い青、特急の文字は小豆色(3011形の色!)でしたが、何故か記憶にありません。Vマークの黄色いヘッドマークは行き先表示板の必要になった神戸高速乗り入れ時に統一されたらしいのですが、このライト入りヘッドマークはそれ以前、「夜間特急」用だったようです。さすがにこの当時の写真はないのが残念ですが。
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(写真は行き先表示器の無い頃の7001形) 

それにしても、壁のタイルといい、柱の多さといい、戦前の地下駅の面影を留めていますが、阪神の神戸中心駅としてはこのままではいけないのではないでしょうか。改札も西側に二カ所しかなく、東側(新聞会館側)に作ることもかつて聞いたことはあるのですが、実現しません。ホーム有効長も6両ぎりぎりで、最近の高架駅が10両編成対応なのに、矛盾します。西大阪線が難波に伸延すると、近鉄との相互乗り入れが始まりますが、このときに三宮まで乗り入れることが決まっています。車両長の長い近鉄電車ではなおさら手狭なので、いよいよ三宮駅の大改造が始まるようです。
そうなったらそうなったで、少し寂しくはなりますが、阪神の発展のためには是非とも最新構造の駅に変身して欲しいものです。 

(2002年8月25日記述) 

続いて2004年、まだなんば線対応工事の始まる前の三宮駅です。
3番線はこの当時日中使用することもなく静かでした。
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2番線の元町側は昭和初期の開業時改札口だったあたりで、広い。
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一方で、1番線の背面は2番線で狭かった。降車ホーム0番線がなければもっと混雑したでしょう。
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この記事は2008年から始まった当時の阪神三宮駅の工事状況を2010年に記載したものです。

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2009年、なんば線開通により三宮から奈良行き快速急行が走り始めました。
昭和初期のままの駅設備で、三番線から発車する快速急行は、かつてのN特急をも彷彿とさせる古き良き時代を思い出させるものですが、やはり阪神電車の神戸ターミナルとして、進化して行くべき駅です。いよいよその工事が始まりました。 

2008年7月の工事が始まった頃の状況です。

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2008年7月の三宮駅はまだなんば線開通前で、もうずっと変わらない風景かと思われた。さんちかから改札を入ると二番線、三番線 ホームへの階段があるのも、もう何年も変わっていない。

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この階段が賑わうのは二番線に元町方面行き電車が到着した時くらいで、普段は静かだ。
その昔は西九条特急が発着していたが、その後、梅田行き快速急行があったりしたものの最近は普通電車がたまに発着するくらいであった。その三番線に工事が行われていた。 

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三番線の天井は他の番線も同じだが電車線の部分は高くホーム部分は低い。
このホームに奈良快速急行を停車させるため、元町方向にエンド部分を延伸する工事が行われていた。

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近鉄車両が21m長で阪神の18.8mに対し長いための工事である。ホーム部分の低い天井裏には空調ダクトが入っているのが見える。 

三番線延伸工事の案内。
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二番線は何事も無く電車が入線する。
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一旦改札階まで階段を上って梅田行きホームへ移動する。こちらは降車 ホームがある。
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降車ホームである0番線。1番線の乗車ホームは幅が狭いのでうまい使い方と言えよう。車両は9000系。
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 (2008年7月記述)

この記事は2008年から始まった当時の阪神三宮駅の工事状況を2010年に記載したものです。

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 2009年3月、阪神なんば線が開通。一躍三宮駅は難波、奈良へのターミナルにもなった。そして期待以上の乗客が奈良へ向かう快速 急行を使うことになった。静かだった三番線が脚光を浴びるとどうしてもその変則的ターミナル構造が目立ってしまう。大阪側のホームは狭く、下り線から上り 線に渡って発車する構造がダイヤに制約を与える。そこでこれから大改造工事が始まる。
 一番線と三番線を貫通ホームにして真ん中の二番線を終端ホームにする。そこに快速急行を止めようと言うのだ。また大阪側には念願の東改札が出来る。こち らは新聞会館に直結し、阪神百貨店食品館にも通じる。その大工事はホームからはなかなか目につかない形で地上から進んでいたが、いよいよホーム側にも変化 が現れて来た。まず三番線側のタイル壁が取り払われ工事用目隠しになった。

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二番線の天井部分。2008年の三番線延伸部分のようにホーム部分天井は低く下がっていたのだが、その壁面が取り払われた。もとの 天井の高さと梁が見える。アーチ上にデザインされた梁は、開業当初の写真にも見られる。1970年頃、駅冷房化により低くなった天井の上には昭和初期の天 井がそのまま残っていたのだ。

三番線側の写真を見ればつり下げ天井の構造が分かる。
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改札階の天井にも同意匠の梁が見える。

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一番線ホームへの階段は狭い。誤乗防止の張り紙も「暫定」的な雰囲 気。ちなみに開業当初は全番線行き止まりの終端で、電車線階に改札があり、そこから地下街階への階段は1番線から3番線までの幅で広かったのだが、数年後 に元町延伸の際、現状のように変わった。
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0番線側もタイル壁が無くなってしまった。い ずれ現1番線も仮設ホームで塞がれ、あらたな乗降階段が作られるのだ ろう。

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 阪神三宮駅上の道路は工事の真っ最中、降車側ホームを無くし1、3番線をトンネル外側へ移動させる工事がこれから始まる。
(2010年7月記述) 

この記事は2008年から始まった当時の阪神三宮駅の工事状況を2011年に記載したものです。

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2011年7月、阪神三宮駅改良工事に進展があったと聞き、訪れてみた。
一カ所しか無い改札口にある、そごう側券売機。
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今となっては決して広くないが、JR側に券売機が出来るまではここにしかなかった。ここから改札側を見るとわかるようにさんちかの通路幅は狭く、乗降客と 通行者で混雑する。 
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数台の自動改札機と、定期券販売窓口が並ぶ。動 線を無視したような配置だが、もともとは神戸三宮駅開業時には突き当たりのターミナルだったホーム端に出札所があったという事情がある。しかしそれも戦前の話。
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いつもの2、3番線階段を下りると、3番線が梅田側へ移動していた。西口改札はこのホームの上までコンコースが広げられ、そこからホームに降りる階段エスカレータが、行き止まり終点に変更になった2番線の前に設置される。した がって現在の狭い改札は無くなって、梅田方向へ広くなる。

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3番線は東、梅田方向に移動、現行トンネル幅ぎりぎりまで寄せられ、従来の乗車専用ホームが削られた。 壁面は化粧広告パネルで覆われていたが、開業当時のタイル面が見られるようになった。このタイルの中に、「コウベ」と書かれたものがあるらしいが見つけら れな かった。コウベは開業時の駅名で、元町延長時に三宮になったためしばらく隠されていたままだったが、工事のおかげでそれが残っていたことがわかった。 新駅完成時にこの壁面は無くなるのだろう。
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3番線を東側にたどると、新しいトンネルになっている。天井が高いのは、東側改札、コンコースが出来るためであろう。
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3番線の海側外側にさらに広がるトンネル。筆者はてっきりここまで線路が移動するものと思っていたのだ が。工事がさらに進展しないとまだどうなるのか想像しづらい。
山側1番線も、3番線同様、降車専用ホーム0番線を削って山側へ寄せると思われ、その線路が見られる。あらためて三宮駅が大変革を遂げつつあることがわかった。今後も楽しみだ。

(2011年7月記述) 

追加で地上風景。まだ三宮ターミナルホテルが見える。2011年7月28日撮影。
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この記事は2012年、三宮駅東口開業時の記録です。

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三宮駅の工事が進み、いよいよ2012年3月20日には新たに東口が開業しました。一方、もともとの改札である西口もついに大きく変化することになります。その工事の進捗状況を記録しました。

阪神三宮駅東口改札は新聞会館地下に完成。

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改札を入ると今までに無い広いコンコースがあり正面にはトイレ。
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振り返り改札を見ると波をイメージしたという天井の意匠が低さを感じさせない。
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2番線は下りホームだが停車位置が梅田側へ大きく移動した。
その梅田方向にはすでにさらにホームが延びている。
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いずれ廃止される予定の0番線ホームだが、部分的に梅田側へ延長中。工事途中の仮設ホーム。
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0番線壁面に現れた古いタイル貼り。白くテープで覆われているのは戦前の駅名「コウベ」だろう。残っていたとは。
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2番線の元町側は西口工事のため、すでに崩されており、3番線がカーブして元町へ向かうための軌道が設置。
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その天井も西口コンコースの人工地盤が出来つつある。
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エスカレータが設置。その横を通る下り2番線は終端となり、電車の位置に新たに階段が出来る。
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2番線の風景も見納め。6月から終端になる。
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東口改札のポスター。
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西口改札の定期、切符売り場。ここの歴史は長い。それももうじき終わる。
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 さんちか側自動改札口。
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そごう側切符売り場。動線が苦しかった阪神三宮駅西口も大きく変わろうとしている。 
 

この記事は阪神三宮駅工事完成時2013年に記述したものです。

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三宮駅の工事が2013年春に完成しました。
昔の面影も残しつつ、広く大きなホームとコンコースになり、阪神電車の神戸の顔として堂々たる駅になりました。来年春には「神戸三宮」駅と改称します。 

阪神三宮駅は神戸そごうの地下に直結しています。複合ビルであり、角面のビルが三宮阪神ビルです。
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三宮駅表示。このパネルの裏には戦前から有るレンガの壁が隠されています。
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従来の支柱を生かし、レンガ化粧パネルとレトロ照明。間接照明でアーチ上の梁が際立ちます。
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真ん中の2番線が突き当たり。 
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2番線を梅田側から見る。アーチ上の梁が「神殿」のように映えます。
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元町方面は3番線。
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各番線天井のアーチの梁は戦前の三宮駅新造時のまま。
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昔の天井の雰囲気にマッチさせた西口階段部。
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西口改札となった元階段付近。奥にコンコースが伸びた。
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山側を見る。ここは元北側改札。
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 梅田側を見る。元西側改札。
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そごう入口にかけては、さんちかとして工事継続。天井の意匠は昔のアーチ状。
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元そごう側券売機付近から見る。
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おまけ。戦前から残る地上出口はさんちか味の街からJR駅方向通路にある。
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地上出口の形状は手塚治虫「アドルフに告ぐ」でも描かれている昭和モダンな形状。 
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(2013年8月記述) 

この記事は阪神なんば線が開通した2009年3月に書いたものです。
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阪神タイガース本拠地である阪神甲子園球場は阪神電車甲子園駅が最寄り駅です。一 方、大阪ドーム球場(今は「京セラドーム大阪」)は阪神タイガースが高校野球開催時にはホームグラウンドとする球場ですが、もともとは「大阪近鉄バッファローズ」の本拠地でありました。
この阪神、近鉄ふたつの鉄道の間には50年以上前から、相互乗り入れの計画がありました が、実現できずにいました。それが2009年3月20日、阪神「なんば線」の開通により、乗り入れが開始され、その象徴のように、「甲子園」駅と「ドーム 前」駅が一本の電車で行き来できることになりました。
筆者は、小学生の頃にこの計画を知り、楽しみにしていました。それが今になって実現した ことに思い入れを持って、現地へ旅行してきました。
そんなわけでまあ、今回の文章、ちょっと思い入れの強いところは、勘弁してもらって見て やってください。
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 阪神電気鉄道は1905年4月12日に大阪-神戸間を走る「インターバン(都市間 交通)」として100年を超える歴史を持つ。経 営上は、2005年の株屋の蛮行を阻止するため阪急阪神ホールディングスになっているが、阪神の難波延長がそれより遥か以前から計画されてきたもので、あ の騒動はこの計画を見越した株価上昇を狙ったものであった。阪神がどれほど難波延長に執念を燃やし努力してきたか、以下に記すことによって、かの騒動がい かに金の亡者の愚かな行為だったかを知っていただきたい。

2009年3月20日の阪神三宮駅3番線は、それまで、本線のホーム1、2番線に対し閑散としていた状況が一変した。奈良方面の掲示がいよいよ開通したことを示す。
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3番線は、三宮駅が開業した1933年、終着ターミナルだった頃の面影を残す終端 ホーム。
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そこに近鉄電車が入線する。試運転とは違い営業車が来たことがこれほど違うことだと は。活気のある3番線ホームは初めて見た。
ちなみに数年後には三宮駅は改修され、この3番線は元町に貫通する。昭和の雰囲気を残すこのホームで難波延長を迎えることはある意味強引なことなのだが、 古い人間にはうれしいことだ。
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この日から営業を開始した三宮ー奈良「快速急行」は、三宮から尼崎まで阪神本線、尼 崎から西九条まで阪神「旧・西大阪線」、西九条から難波まで新線「なんば線」(尼崎から難波までを改称)、難波から奈良までが近鉄奈良線を乗り入れして直 通する。約70kmを約80分(時間帯による)で走破する。
阪神電気鉄道のなんば線を語るには、1928(大正13)年に遡る必要がある。その1月に大物(だいもつ)ー伝法(でんぽう)、8月に伝法ー千鳥橋を開 業、「伝法線」とした。この新線計画は1911(明治44)年に特許取得したが、第一次世界大戦後の不況と多くの河川を渡る難工事のためであった。
伝法線の目的は今と違って、本線の急行線建設であった。
そもそも阪神本線の建設に当たっては、軌道法によって敷設が認可された。軌道法は「路面電車」であったが、”軌道のどこかが道路についていたら良い”とい う内務省の広義の解釈によって、ほとんどが専用軌道、住吉ー御影付近、神戸三宮付近のみ併用軌道となった。のちに改良されるのだが、いずれにしても本線は 集落で乗客を拾いながら走る路線であり、高速運転には適さなかった。(それでも最終的には梅田ー三宮間約30kmを25分で走ることができた。これは現在 の32分よりも速い)
省線、阪急に対抗するには本線と別に急行線を建設し、本線は格下げする構想だった。
そして、後になって各線が複々線化、またはターミナルを分散化したが、もともと阪神は輸送力増強を早くから検討しており、梅田地下駅が1939(昭和 14)年に建設されたときに複々線に対応していたのである。そのための布石として、伝法線を開通させ、千鳥橋から野田方向へ延伸する計画だった。

さて、写真は筆者のかつての”ホームグラウンド”魚崎駅。
かつて40年も昔、がらがらの西大阪特急が高速で通過して行ったのを見た駅だが、ついに近鉄電車も「快速急行」として停車することになった。
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大震災の前には、明治の面影を多く残す家や松が見られた駅だが、すっかり変わった。そしていよいよ高架化工事が進展して、明治時代からの線路が切り替えられる。
(この写真は筆者の良き鉄道仲間、息子の撮影)
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 こちらはかの有名な甲子園駅。
尼崎までは、阪神本線の特急、急行、普通、そして山陽電鉄の直通特急が走っており、そこに近鉄も乗り入れてくるわけで、多種多彩な車両が見られることに なった。
ちなみに阪神だけでも急行系と普通系で性能が違い、さらに鋼製とステンレス製車体の差、旧塗装と新塗装という車両が混在しており、鉄道好きには楽しい路線 になった。
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甲子園から武庫川までも歴史のある地上区間だが、ここも高架化工事が始まった。戦前の阪神の写真も同じ構図のものがあるほど有名なポイント。従って、ここ に近鉄電車が走るということは感慨深いとともに貴重な写真になるだろう。
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終戦後の1946(昭和21)年に伝法線の延伸計画、千鳥橋ー西九条の特許申請が行われ、二年後に西九条ー難波の申請が行われた。これは先述の梅田からの 急行線計画を破棄し、同時期に申請された近鉄の上本町ー難波間の延伸に呼応して、相互乗り入れを想定したものだった。
まだ大阪環状線は無かったころであったが、当時の大阪中心部は大阪市営の地下鉄と市電により独占されていた。地下鉄御堂筋線の梅田、淀屋橋、本町、心斎 橋、難波はそれにあたる。
従って各私鉄のターミナルは分散したままで、移動には必ず市営交通を使わねばならなかった。大阪市はこの利益を守るために、各私鉄の延伸計画にことごとく 反対した。
阪神の申請にも反対したのだが、大阪市営地下鉄の4号線=中央線は、たしかに現状では九条から生駒まで、競合する。しかし、中央線の開通は1961(昭和 36)年、しかも九条付近は1964(昭和39)年であった。
1958(昭和33)年にようやく都市交通審議会でこの方針が変更されたのだが、大阪市電はすでに道路渋滞によりマヒ状態で、戦後の復興再開発も進んだ後 では、私鉄の中心部延伸も容易では無く、結果的に大阪の交通網は東京に比べ相対的に弱体化が進むことになった。
ともかく、阪神の千鳥橋ー西九条間のわずか1.2kmは1964年に開通、西大阪線となった。西九条は大阪環状線も開通しており、不十分なものの梅田本線 のバイパスとして機能することとなり、阪神は「西大阪特急」(N特急)を1965年より運行を開始した。
この特急は阪神史上最も快速の表定速度70km/hをマークしたが、乗客は伸びず、1974(昭和49年)に廃止される。だがこの特急は、難波延長を見越 した設定だったのに、肝心の延長のめどが立たなかったのが廃止の原因になった。
皮肉なことに、西大阪特急の快速ぶりは、元来の急行線計画により本線よりも直線の多い線形になっていたことによるものと、運転本数が少ない”ローカル”線 だったことによるところが大きい。

なんば線淀川鉄橋を近鉄車が走る。
この鉄橋は大正時代から変わっておらず、阪神の試運転電車の写真はここで撮られたものが多い。それがいよいよ第二の本線として機能することになったわけだ が・・、ちょっと水面ぎりぎりで、潮位の上がった時は水門が閉じると鉄橋は使えなくなる。
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1967(昭和42)年には西九条以遠の着工がされたが、「九条駅出入り口について付近の商店街の利害が対立し、反対運動が起こったため、工事着工を中止」した。
筆者がこのことを知ったのは、鉄道ピクトリアル303号阪神電気鉄道特集(1975年2月臨時増刊号)であった。奇しくもこの号の表紙は当時の最新鋭車 3801形だった。
3801形は、1974年に新造された「急行系赤胴車」である。これは4両固定編成で阪神最強の130kWの電動機出力、急行系では久々の「電空併用ブ レーキ」さらに勾配に対応した「抑速ブレーキ」付きであった。この仕様は、西大阪線の西九条から九条にかけての急勾配に対応するためであり、新製当時の鉄 道ピクトリアルに「難波延長対応」と記載されており、これにより小学生だった筆者ははじめてその計画を知った。が、高価だった雑誌は買えず、友人に借り て、記事にあった3801,3901の図面を模写したのだった。
それから、何年経ったのか、阪神タイガースの優勝と難波延長、どちらが先か、なんていう冗談も、とうの昔にタイガースの優勝、そして低迷が続き、そして地 震、不況。
2001(平成13)年、「上下分離方式」により国の補助金が出ることになり、「西大阪高速鉄道」設立。この第三セクターが建設することで2003(平成 15)年着工となった。
奇しくも阪神タイガースセリーグ優勝の年。
そして次の優勝2005年、阪神電気鉄道100周年の年に、なんと、あの先述の忌まわしい騒動が起きたのである。あれはなんだったのか。
この長い長い阪神の歴史の中で、なんば線に関わる歴史だけでも80年に及び、それを辛抱強く実現に向けてがんばってきたこと、これは容易なことではない。 ただ歴史が長いだけでは意味が無い。それが80年にも及べば、何代にも渡る社員が関わってきたわけで、当然それが変化し、無くなることもあるわけで、むし ろその方が可能性が高いのである。しかも、国、市、民の外部障壁に遭いながらである。
その継続性をもたらしたのは、会社の中にある先輩から後輩への伝承、受け継がれた執念だったのかもしれない。もう諦めたとも言われていた事業が、ついに、完成したのである。このことに筆者は深い感銘を覚える。

新しい駅「ドーム前」。
吹き抜けの明るい駅は、球場へ向かう野球ファンの心も明るくするだろう。
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終着の近鉄奈良駅に到着した阪神”新”1000系電車。(小型車時代、”千公”と呼ばれた1000形があった)
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しかし、これが終点ではない。
今回は開通日とその翌日の三連休中だったが、ダイヤが乱れっぱなしだった。習熟して問題は無くなるだろうが、肝心のダイヤがあまりに遅い。尼崎から難波、鶴橋までに待避線が無いため、緩急運転が出来ず、一部快速急行が西九条ー尼崎間でノンストップ運転するものの、基本的に続行運転である。か つては千鳥橋に待避線の計画があったのだが、仮に実現していても当時の2-4両編成用ホームでは使用できなかっただろう。ここは以前計画にあったようだが、1000系9000系を「ジェットカー」並に加速度を上げてほしい。VVVFとなった現在、5500系と9000系の仕 様はM車の比率くらいで大きな差はない。制御の切り替えでかなり対応可能だと思われる。
次に、近鉄線内8-10両編成を尼崎で開放あるいは連結し阪神線内6両とする作業時間が問題だ。京浜急行や東北新幹線でもすでにこのような頻繁な連結開放 作業はされているが、ともに「非貫通」だ。
阪神は、おそらく地下線内火災対応のためだと思うが、貫通幌をかける。乗客は自由に行き来できることで良いことだが、問題はその作業に時間がかかること だ。かりにダイヤ通りだったとしてもイメージダウンだ。すでに西宮、尼崎は10連対応になっている。
先述の三宮駅がリニューアルされた暁には、10連のまま、かつての「N特急」そのままに、快速を飛ばしてほしい。そういう計画であることを期待する。

さて、途中で述べた西大阪線延長用車両であった3801形であるが、紆余曲折の末、8801形として2009年2月、廃車となった。すでに省エネ、高性能 な新型車両に大きく見劣りがすることが問題となったのであろうが・・。昭和後期の阪神電車の完成デザインとして筆者はひいきにしていた車両だけに、せめ て、さよなら運転を、まだ見ぬ難波までさせてやってほしかった。
会社も人間も、車両も、時代をかさねた結果の開通だったことを思いにとどめたい。
この写真が筆者の見た最後の3801(8801)形であった。 
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阪神電車は、筆者の鉄道趣味の原点です。それが進化して行くことは大変うれしくもあり、若干さみしくもある、そんな気持ちになる今回の阪神旅行でした。

(2009年3月記述) 

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