2023年02月
阪神5001形惜別 (2023年2月)
神戸に行く機会があり、阪神電車ジェットカー”青胴車”の終焉が近いということなので乗ることにしました。と言ってももう4編成しか残っておらず、なかなか乗れるタイミングはないかなと思っていましたが運よくすぐに乗れました。しかも5001-5002-5003-5004の第一編成です。
2021.12.31 西宮











![MOVIE_[0217]](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/9/7/97bfbb6f-s.jpg)
![MOVIE_[0217]_01](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/4/5/457db4cc-s.jpg)

現在の5001形は二代目です。初代5001形は1958年製造1977年廃車になっており、その代替えとして1977年に5001-5002、5003-5004が新造されました。当時は新5001形と雑誌で見ましたが、正式名はどうなのでしょうか。45年も経って今更”新”も変ですね。最近の雑誌では5001形(Ⅱ)などと書かれていますが。
なお、1000系は新1000系と当初呼ばれていたこともありますが、これも1960年代まで残っていた小型車に1001形(千公とのニックネームも)があったためです。さすがにこれと間違えることもないでしょうが。
さらに言えば「青胴車」の呼称も「赤胴車」の対語として使われ出したのは1980年ごろだったと思いますが今ではすっかり定着していました。阪神電鉄としては急行系=赤、普通系=青の識別を踏襲しているようです。ただ形式ごとに色合いが違っており、特にオレンジ色はもっと赤い色にして欲しいですね、と言うのは阪神ファンの定番です。
1977年8月、営業開始したばかりの新5001形が来たので慌てて撮った一枚。当時もフィルムは高価で泣けました;;。 目新しい新型車は夏の冷房装置も相まって嬉しかったのを思い出します。



2021.12.31 西宮

2023.2.12 尼崎

千船、特急待避中

中間車になった5002,5003。元は2両編成の制御車でしたが、4両固定編成になった時に改造されました。

妻板形状が先頭車の形ですね。

野田



久寿川


この日は5025編成との2編成が運用していました。

車内も昔標準だった薄緑色。
![MOVIE_[0217]](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/9/7/97bfbb6f-s.jpg)
妻部は元々制御車だったところを客室に改造、簡易運転台もあります。
![MOVIE_[0217]_01](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/4/5/457db4cc-s.jpg)
2015年の撮影。形式不明の「青胴車」ですがこの頃はまだ一部車両のシートが更新されず昔ながらの小豆色でした。クッションは昔の方がフカフカでした。ただフル加減速をすると体が横に持っていかれました。子供が小さい時は勢いでひっくり返ることもあって気を使いました。でも阪神のシートは柔らかくて好きでした。

現在、阪神ジェットカーは5500系、5550系、5600系が主力になっています。しかし旧塗装となります上半分がクリーム、下半分がブルーのジェットカー「青胴車」は5111、5311形の廃車が終わり5001形のみとなっており、その5001形も2023年度中に廃車が決定されています。地元民ではない筆者は、これが最後になる可能性があります。
現在の5001形は二代目です。初代5001形は1958年製造1977年廃車になっており、その代替えとして1977年に5001-5002、5003-5004が新造されました。当時は新5001形と雑誌で見ましたが、正式名はどうなのでしょうか。45年も経って今更”新”も変ですね。最近の雑誌では5001形(Ⅱ)などと書かれていますが。
なお、1000系は新1000系と当初呼ばれていたこともありますが、これも1960年代まで残っていた小型車に1001形(千公とのニックネームも)があったためです。さすがにこれと間違えることもないでしょうが。
さらに言えば「青胴車」の呼称も「赤胴車」の対語として使われ出したのは1980年ごろだったと思いますが今ではすっかり定着していました。阪神電鉄としては急行系=赤、普通系=青の識別を踏襲しているようです。ただ形式ごとに色合いが違っており、特にオレンジ色はもっと赤い色にして欲しいですね、と言うのは阪神ファンの定番です。
1977年8月、営業開始したばかりの新5001形が来たので慌てて撮った一枚。当時もフィルムは高価で泣けました;;。 目新しい新型車は夏の冷房装置も相まって嬉しかったのを思い出します。

1979年4月、野田。今回撮影の5004。当時行き先表示機が付いていた赤胴車と違い、表示板のままだったのがいかにも無駄はしない阪神らしいと思っていました。

1979年4月、魚崎

新5001形は初代5001、5101、5201形の置き換えですが、そのうち5201形は当時台車、モーター、駆動系(直角カルダンから平行カルダン)を一部更新しており、初代5001とジェットシルバー5201-5202の代替え4両のみで、残りは冷房改造するという噂も聞きました。結局車両も全て新造することになったようです。ただ5201形で更新した駆動系は新5001形にそのまま流用されましたから車体更新車と言えそうです。
その後、5231形が5131、5331形にモーター、台車流用で電機子チョッパ制御に置き換えられたのですが、このチョッパがディスコンになったために先に廃車されることになり、結局車齢の古い新5001形が最後まで残ったわけです。もう「新」はつけなくても良いでしょう。
その後、5231形が5131、5331形にモーター、台車流用で電機子チョッパ制御に置き換えられたのですが、このチョッパがディスコンになったために先に廃車されることになり、結局車齢の古い新5001形が最後まで残ったわけです。もう「新」はつけなくても良いでしょう。
阪神5001形、何月まで活躍してくれるでしょうか。46年間お疲れ様でした。