箱根登山鉄道も新しい車両に変わってきていますが、ちょっと昔、と言っても40年前、はまだ1000形ベルニナ号の第二編成ができたばかりで、まだまだ100形(モハ1、2)の天下でした。
筆者は社会人になって初めて車を買ったばかりで、箱根にもドライブに行っていましたが箱根登山鉄道をじっくり撮ることはあまりありませんでした。紫陽花時期の写真をいくつか発掘しました。
1985年6月の大平台周辺。














筆者は社会人になって初めて車を買ったばかりで、箱根にもドライブに行っていましたが箱根登山鉄道をじっくり撮ることはあまりありませんでした。紫陽花時期の写真をいくつか発掘しました。
1985年6月の大平台周辺。

1000形1003-1004ベルニナ号。

この頃はまだ箱根登山電車が小田原まで直通していました。今は小田原ー箱根湯本間は小田急の車両のみが往復しています。

大平台周辺の線路沿いには紫陽花がずっと咲き並んでいました。

1986年7月6日。この日は鉄道好きの仲間と登山電車を撮影しに行ったようです。
大平台周辺。トンネルの上の道路橋からです。今と違って橋から電車まで見通しが良かったようです。
大平台周辺。トンネルの上の道路橋からです。今と違って橋から電車まで見通しが良かったようです。

下からの写真。バックの道路橋がよく見えます。

トンネルの上にも紫陽花が咲いていました。今より紫陽花の数は多いようです。





この日は日曜日休日で混んでいますが、今ほどではなかったようです。

雨が降り出していましたが、国道1号線から沢沿いに登って撮影場所を探すほど元気でした。


2000年代に入ると火山活動活発化や大雨による崖崩れがあって運休もありました。現在は国内旅行客の増加やインバウンドによる海外旅行客の増加もあって混雑しています。さらに夏の暑さも厳しくなり冷房車の要求が高まって冷房機械の載せられない旧型100形車両は1編成だけになっています。