電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

カテゴリ: JR

熱心にドクターイエローを追っている友人に誘ってもらい、武蔵小杉で東海道新幹線を狙いました。
4月に見に行った後、ドクターイエローの廃止が発表され驚きました。

武蔵小杉駅から南に歩いた歩道橋はドクターイエロー狙いの多くの鉄ちゃん以外にも親に連れられた小さな鉄ちゃんも来ていました。歩道橋の下部は透明アクリルで覆われており、子供にもよく見えるように工夫されています。大きな鉄ちゃんは手を伸ばして防護網の上からカメラを構えていました。

まず試し撮り
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ドクターイエローが来ました。



動画から切り出した写真1
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動画から切り出した写真2
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無事に撮影できたので、ロケハンを兼ねて多摩川鉄橋に移動しました。東急多摩川線で沼部駅へ。ここからも武蔵小杉の高層ビルがよく見えます。
動画切り出しで上下線の会合を。
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北側からの撮影になるので光線状態が気になります。流し撮りの練習。
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しかし、東海道新幹線は最短2分間隔で走っていて驚きます。
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9月中には東急電鉄のQ SKIP(スマホにQRコードを表示させて乗車)東急全線ワンデーパスが半額キャンペーンで370円だと教えてもらったので使ってみました。使うまでに会員登録するのは面倒で、QRコードを使える改札機が各駅一台程度です。(2026年までにJR東日本など首都圏では切符が廃止され、QRコードになるらしいので改札機は全部対応するようです。)
今回のスマホの場合QRコードを表示したら60秒以内に通過しないとならず、うっかり表示更新していないとエラーになるので初めのうち理由がわからず苦労しました。

阪神神戸三宮駅からJR三ノ宮駅へエスカレータで上がるところは現在工事フェンスで囲われています。
ここは「三宮ターミナルビル」が建っていた地下でまだ店舗跡が残っています。三宮ターミナルビルは1981年、神戸市の「ポートピア」開催時に開業したホテル、店舗でした。

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地上の阪急神戸三宮駅へ向かうペデストリアンデッキから見るともうビルの解体は終わっていました。
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フラワーロード南側を見るこの構図はこのデッキです。ちなみに昔は滝道と呼んでいました。
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JR三ノ宮駅に沿ってデッキが伸びています。
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金網越しにJR、旧国鉄の鉄橋が見える。
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この鉄板に空いた穴は、1945年神戸大空襲の際、米軍の機銃掃射でできたもの。
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筆者の父方家族もこの中を潜り抜けて生きてきました。
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ペデストリアンデッキを抜けると阪急神戸三宮駅です。
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蒸気機関車の観光列車は1979年に山口県で「SLやまぐち号」が、1975年SL定期運行廃止後初めて復活運転してから、現在は各地で復活運転されています。
今回、JR東日本運行「SLぐんま」の「SL高崎駅140年水上」を撮影してきました。学生時代の鉄道好き友人が、緻密な撮影スケジュールのもと撮影旅行に誘ってもらい同行させてもらいました。

高崎駅まで新幹線で行き、上越線の新前橋駅から少し歩いて撮影。想像したほど人はいませんでした。
211系も残り少なくなっています。
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「SL高崎駅140年水上」は、高崎駅開業140周年を記念して運行されました。同様に「EL/SL高崎駅140年横川」も運行されましたが、こちらは一方に電気機関車が付いて”プッシュプル”運転されています。
「SL高崎駅140年水上」は高崎駅、水上駅に転車台があるため蒸気機関車のみ先頭に立ちます。

さらに旧型客車(10系客車以前の旧型で蒸気機関車が牽引するのが似合う客車)であり、C61形蒸気機関車(旅客用テンダー式蒸気機関車。戦後D51を改造)牽引なのが魅力の編成です。


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快晴で暑い5月の群馬です。

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上毛高原駅まで新幹線で先回りし、月夜野の高台から。利根川の流れの向こうに列車が走ります。

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旧型客車が似合っています。
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煙が出ていたらなあ、と思っても今は沿線の迷惑になるので言えません。。
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水上の方角には雪を被った谷川岳。
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水上駅までバスで移動しました。駅前にはD51が保存されています。
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奥には転車台で方向転換したC61

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D51から改造されたとはいえ、ボイラーの縁がR取りされていて旅客用らしい貴賓?が。
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水上駅から高崎駅へ戻りますが、発車時刻まで時間があります。結構な人数が撮影場所確保で暑い日向で待っていましたが、筆者はテラスで座ってコーヒーを。

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ホームに比べ撮影場所はそれほど殺到しておらず、穏やかに撮影できました。

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バックの山も新緑で綺麗でした。
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新前橋駅
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汽車は出て行く、煙は、、あまり残りませんでした。
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撮影旅行に誘っていただきありがとう。
 


大学時代の鉄ちゃん友人A氏に誘われてドクターイエローを撮りにいきました。
場所は、昨年の新線開業で話題になった相模鉄道西谷駅から住宅地の階段を上がった高台です。

この日は夏の暑さでした。
新幹線の中でも人気のドクターイエローですが当然、点検用車両ですから運用は非公開ですが、色々詳しい方が調べているようです。予想された時刻に来ました。

4k動画からの切り抜き。
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4k動画です。



筆者は偶然見た以外のドクターイエローは初めてでした。40数年ぶりの鉄ちゃん同行、A氏ありがとうございました。

貨物駅は大都市の駅近くにありました。汐留駅や梅田駅のように廃止されて大規模開発用地になっています。横浜駅の東側にも大きな貨物駅がありました。それが高島駅です。ここはみなとみらい地区になって開発されて行きますが、みなとみらい地区は貨物ヤードだけではなく三菱造船などの工場敷地も含む一帯の開発地区なのでより広範囲です。

高島駅は横浜港の荷揚げ貨物の輸送を行うために高島線にあった貨物専用駅で、桜木町にあった東横浜駅、根岸線経由で神奈川臨海鉄道、山下埠頭線経由で山下埠頭駅などから来る貨物が集中する大きな貨物駅でした。
その歴史は大変複雑で、おいそれとは語れません。

ここでは高島駅と横浜機関区が廃止になった1986年11月の写真をご覧ください。

1986年10月10日の横浜機関区から高島駅を望む写真です。奥には横浜そごうと当時の先代スカイビルが見えます。ヤードには多くの貨車が見えます。

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1986年11月1日に横浜機関区が廃止になって、高島駅も高島信号所になって、さらに国鉄がJRになる1987年4月1日を控えていました。
以下の写真は、1986年11月6日の写真です。横浜機関区廃止後、解体を控えて一般公開をしたものだと思います。記憶にほとんどないので、なぜ中に入って撮影できたのか疑問だったのですが、同時期に同じように中に入って撮影した写真がネットにもあることと、わずかな記憶では、新聞の横浜地方版の記事で公開されていることを知って、その最終日だと思うのですが、午後になって急いで行って撮影したようです。

国道15号道路から見える横浜機関区の扇形機関庫外観。


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扉が開放されて、転車台が見えます。転車台は今、本牧市民公園にD51と共に保存されています。
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機関庫は当然蒸気機関車のために作られたもので、天井には集煙装置が残っていました。

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廃止された高島駅には、廃車になる車掌車が並んでいました。
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奥にそごうとスカイビルが見えます。
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首都高横羽線の高架が見えます。
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多分駐車場から撮影したと思います。高島線は運行されていました。
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まだまだ横浜駅東口地域に港の機能が残っていました。
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その後の高島駅は一度JR貨物駅に復活しますが1995年に廃止されます。
高島線は1989年の横浜博覧会のとき、桜木町から山下公園までレトロ調気動車を走らせたり、高島トンネルが出来て桜木町駅に直結したり変化がありました。
現在の高島線。高島ヤードの跡地の一部を通っていますがトンネルを含め当時の線路から変わっています。

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単線の両脇は高島水際線公園となり、再整備が進められています。



横浜駅東口は現在そごう横浜店、スカイビルがありその先は日産、京急の本社ビルやKアリーナ横浜などが広がるみなとみらい地区です。その間には帷子川河口がありますが、その水際に唐突に単線の線路があります。
この線路はJR貨物の東海道本線貨物支線(通称高島線)です。
東方向は鶴見駅から東海道本線を離れ貨物専用の東高島駅を経てやってきます。こちら側は高層ビルが立ち並んでいて未来都市から貨物列車が来たようなちょっと不思議な景色です。


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西側を見ると、トンネルに入り、その先は桜木町駅につながっています。

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みなとみらい地区もすでに多くのビルが立ち並んでいてその地下を貨物が潜り抜けている訳です。
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東側、神奈川区金港町栄町山内町は元々は倉庫地区でした。大きく変化しました。
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線路の両脇は高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)です。

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工事中に発掘されたイカリのモニュメント。

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反対側には車輪。これも発掘されたそうですが、ナローゲージの蒸気機関車用動輪です。
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スカイビルとかもめ
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新しいKアリーナ。公園と周辺道路は観客に対応するために工事中です。
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この場所は元は貨物駅の高島駅と横浜機関区でした。
横浜駅の東口は大きな貨物ヤードが広がっていました。
1986年10月の写真です。

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1986年11月1日に廃止になりました。
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久々に鶴見線の国道駅に行きました。
国道駅は鶴見臨港鉄道として、開業から4年経った1930年(昭和5年)、弁天橋駅から鶴見仮停車場まで延伸時に建設されました。
昭和初期の雰囲気をそのまま残す駅です。
車両は国鉄時代の205系です。2023年冬以降E131系1000番台に置き換わっていくことが発表されています。

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鶴見駅方面のホームを降り、中段の歩道橋を渡り改札口へ降ります。
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鶴見駅側には国道15号(第一京浜)が通っています。
ちなみに同じ国道とつく駅名の阪急今津線、阪神国道駅の駅前は国道2号(第二阪神国道)が通っています。
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国道側へ出る。

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高架駅の側面
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ネットで覆われたコンクリート壁には多数の穴が空いています。
この穴は、太平洋戦争末期、米軍による横浜川崎空襲の機銃照射でできたものです。

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高架下は元は商店が入っていたのでしょうが、今ではほぼありません。
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奥に進んで鶴見小野、弁天橋方面の高架と鶴見川橋梁
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鶴見小野駅、弁天橋駅側を見る。トンネルの中から見るようです。
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天井のアーチデザインは昭和初期に流行ったようです。
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左側に無人改札があります。
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鶴見方向ホームへ向かう歩道橋から弁天橋駅方向を見ました。日中だというのに薄暗い。
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鉄路は昔と変わっていません。
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弁天橋方面から205系が近づいてきます。
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鶴見駅は突き当たりの終着駅です。
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昭和初期の高架ターミナル駅
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京浜東北線ホームから見上げる鶴見線。私鉄だった面影があります。
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1994年2月、鶴見線大川支線で使われてきたクモハ12形が鶴見駅に乗り入れ運転するということなので撮影しに行きました。
鶴見駅に乗り入れて海芝浦などに運行していました。単行運転が鶴見線本線?に入ることは珍しいことです。
実際にクモハ12形が引退したのは1996年3月でした。


鶴見駅のクモハ12

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鶴見線は鶴見臨港鉄道として1926年(大正15年)に開業しました。
鶴見駅への乗り入れは1934年(昭和9年)のことです。昭和初期の雰囲気が残っています。
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2023年10月の鶴見駅

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あまり変化はありません。

1994年に戻って、そのまま海芝浦駅まで行って折り返し。
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乗車人数も多く、鶴見線に最後まで残った旧型国電を名残惜しんでいました。

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次の駅の国道駅
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この高架駅は鶴見駅より早く1930年(昭和5年)に開業しています。
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この先の橋梁は鶴見川ですが、1981年までは昭和初期建造のコンクリートアーチ橋で有名でした。
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高架駅の下は薄暗い。
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当時の新型?車両103系
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2023年10月でも車両は変わりましたが駅の昭和の雰囲気は変わりません。
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尻手から浜川崎支線で浜川崎駅に到着。Suicaタッチせずに鶴見線の浜川崎駅に乗り換えます。

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一旦改札を出て道向かいの鶴見線に行きます。道路には浜川崎支線から鶴見線に繋がる貨物線の踏切があります。
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鶴見線浜川崎駅。
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鶴見方向隣の武蔵白石駅に行きました。
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昔からある高圧線兼用架線柱。
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武蔵白石駅は通過しますが、ここから大川支線が分岐します。昔はここに支線専用ホームがありました。
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大川駅方向へしばらく歩くと白石運河にかかる大川橋があります。

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大川支線の第五橋梁も並行しています。
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この鉄橋の大川方向に、幾つもの穴が空いています。
これは太平洋戦争末期、横浜川崎空襲時の米軍機銃掃射による弾痕だそうです。
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大川支線は鶴見臨港鉄道開業1926年(大正15年)に貨物線として開通していました。
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大川駅。電車の本数は朝夕時のわずかです。
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大川支線の終点です。
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鶴見線の旧型国電が101系に置き換わるというので、写真を撮りに行きました。
弁天橋駅でしょうか?

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72系と101系のすれ違い。この頃101系は新高性能車でありきたりの通勤電車でした。
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スタンションポールに木の床、旧型国電の典型。
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武蔵白石駅
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2023年10月の武蔵白石駅。京浜工業地帯らしい電線の架線柱は変わらず。
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鶴見線は扇町が終点です。武蔵白石駅は大川支線の分岐駅です。
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大川支線へはここから乗り換えます。急カーブにあるホームを20m車は通過できないので17m両運転台車のクモハ12が単行で走ります。
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2023年10月の同じ地点の写真です。1996年3月にクモハ12形が廃車になるのを契機に、武蔵白石駅のホームが撤去されました。大川行きは通過します。

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鶴見方向
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2023年10月。軌道内の雑草が目につきます。
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駅舎は駅看板以外は変わっていないでしょうか。
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1979年12月。武蔵白石駅大川支線ホーム。
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終点の扇町駅。

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