電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

カテゴリ: JR

先日相模国一ノ宮寒川神社に参拝してきました。
茅ヶ崎から相模線に乗り換えます。実際には最寄駅の宮山駅から歩いたのですが、帰りに参道を歩き寒川駅に出ました。寒川駅から参道を歩き、一之鳥居、二之鳥居、三之鳥居とたどって社殿に行くのが本来の?行き方でしょうか。
寒川駅はかつて西寒川支線の分岐駅でした。
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寒川神社一之鳥居は参道の南端にあります。が、その前を相模線が走っています。
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一之鳥居を通して相模線の電車が見えます。
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相模線は単線で、寒川駅で交換が行われます。
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参道は一方通行の車道です。
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寒川神社の社殿では祈祷が行われていました。

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(2025.6.5)

GWの鎌倉は大変混雑していました。
人混みを逃れて大町の安国論寺の高台に行くと静かな景色が広がっていました。

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材木座から由比ヶ浜、相模湾が一望できます。
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かろうじて富士山が見えました。ひょっこり横須賀線が顔を出します。
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海の色が春というより初夏らしい。
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超満員の江ノ電に乗って極楽寺へ。
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光線状態がなかなか思うようなタイミングではありませんが、午後の光でトンネルポータルが光っていました。
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今年の桜は結構長く持ってくれました。横浜でも満開まで2週間ほど続きましたが、いよいよ終焉間近、桜吹雪となって花びらが舞い散っています。

横須賀線の東戸塚駅近くにある桜を見てきました。

動画では湘南新宿ラインの車両ばかりになってしまいました。
 



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北天院門横にある桜
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横須賀線もすっかりE235系になりました。桜に、横須賀色の青、特にE235の濃い青色が似合います。
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北天院の側から撮影。桜吹雪が綺麗です。写真にはなかなかうまく写りません。
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東海道線の清水谷戸トンネルには山桜がありますがもう葉桜になっていました。
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(2025.4.10)

東海道山陽新幹線ドクターイエローを追っている友人から通過時刻くらいに富士山へ太陽が沈むダイヤモンド富士が見られるかもしれないということで、天文好きの筆者が確認したところなんとか富士山に沈む時刻が通過時刻に合いそうだと確認し、横浜市旭区阿久和に行って撮影してきました。

下見に行った時の写真。陸橋には網の小さな金網があり、なかなか構図決定が難しいところでした。

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この日は冬型気圧配置から弱い南岸低気圧通過、移動性高気圧張り出しと春に近づいていく過程の目まぐるしい天気でした。西の空は雲が広がって肝心の富士山は見えません。

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だんだん陽が沈んでゆきますが。
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まさに日の入り寸前、富士山の山頂が雲の上に顔を出しました。ダイヤモンド富士になってきました。
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太陽は山頂をかすめて右側の稜線に沈んでいきます。しかし新幹線は来ません。。
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ほとんど陽が完全に沈むかという時にドクターイエローが来ました。
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カメラの露出はマニュアルで新幹線を止めるために1/4000秒のシャッター速度です。
-1段補正をしていましたが感度は自動制御でISO3200にまで上がっていました。
新幹線は写りましたが、それでも太陽周辺が白飛びしてしまいました。自動感度調整を切ってもう一段アンダーにするべきでした。。難しい露出でした。
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日の入り後も雲が陽に照らされています。
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陽が沈んだ後も手前の雲に富士山の影が映っていました。
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2021年に書いた記事ですが、そのまま掲載します。いよいよE217系は2025年3月に無くなります。ずいぶん変わってきました。
(ここから)

横須賀線の話です。
実家の最寄駅が、保土ヶ谷駅だったことからこの線に乗ることが多かったです。
今、戸塚駅が最寄駅で、当初大船に通っていましたが、なぜか横須賀線を選んで乗っていました。その後西大井駅に通っていましたから通勤はずっと横須賀線でした。
横須賀線の車両は、70系、113系からE217系に変わりましたが、今度、E235系に変わります。乗り慣れた車両が無くなるというのはなんだか感慨深いです。

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昔の70系は旧型国電を湘南型2枚窓の運転台にしたような車両でした。海水浴に使った記憶くらいです。床が木で、コールタール臭さで酔いやすかった旧型国電という印象です。写真はありません。

113系は筆者の記憶の中では最も深い車両です。

1962年に湘南色の80系置き換えから始まった111系から出力増強した113系(先頭車はクハ111)は、1963年から1982年まで約3000両製造されました。高度成長期の通勤近郊電車として日本全国の直流区間でで活躍しました。

筆者の学生時代の記憶は全てこの車両です。

カメラを手にした1979年ごろは横須賀線はまだ東海道線を併用して走っていて、この写真の清水谷戸トンネルを通過する横須賀線は今ではみられません。

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この後、「SM分離」の1980年以降も113系は走り続けて、1990年末期はステンレス前面強化して継ぎ接ぎ鉄仮面のようでしたが、1999年に横須賀線は国鉄型からE217に置き換わります。

しかし、この当時、筆者は仕事を真面目にしていたため?ではなく、マニアも「スカ線」と呼んで横須賀線車両は”スカ”として写真にも撮っていなかったようです。

カラー写真がないので、2003年の外房線で晩年を送る113系です。

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今も横須賀線専用車として活躍中のJR東日本217系は1994年に製造が開始されました。当時京浜東北線の車両209系をベースにしたというので、期待していませんでしたが、前面が横須賀線専用のデザインで、もともとプライドの高い?横須賀線利用者は溜飲を下げたようです。筆者もこのデザインは好きです。(このデザインは前面衝突クラッシャブルゾーンのためでもあります)

登場時のままのE217系は青色のラインが濃いマリンブルーでした。横浜らしくて良い。

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ところが機器更新を2007年から行い、青色が113系の頃と同じ青20号に戻りました。

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E217系は、バブル崩壊の頃から進められた車両のコストダウンのために、耐用年数を半減させたものなので、20年以上経過した現在、廃車が迫っています。113系は40年走っていたことを考えると短く、”美人薄命”ですね。

新たに横須賀線に走る車両、E235系。色は横須賀色でグリーン車も入りましたが、山手線と同じ車両で、ロングシート4扉です。

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君が大人になる頃にはどんな車両が走っているだろうね。

 

東海道新幹線の「ドクターイエロー」(923形)はJR東海所有のT4編成が1月に廃止されましたが、実はJR西日本のT5編成は2027年に廃止予定なのでまだ走っています。なんだかナクナル詐欺みたいですがドクターイエローの追っかけ撮影はまだ続いています。
今回も熱心な追っかけ友人に連れて行ってもらいました。
場所は神奈川県平塚市のより富士山が見える田園です。

 


2月17日は冬型の気圧配置で寒い日でした。しかし強い偏西風のために雪雲が山を越えて来てしまいました。肝心の富士山は山頂に雲がかかってしまいました。
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同じ写真を「Nikon NX studio」RAW現像時に「ディープモノクローム」に変換すると雲が強調されました。(このアプリ、モノクロームにすると昔のコントラストフィルターの黄、オレンジ、赤が選択できますがディープモノクロームはさらにコントラストが上がるようです)
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ドクターイエローが来ても富士山の雲はとれませんでした。(4k動画の切り出し)
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良いロケーションでしたが富士山は不完全でしたのでリベンジを2月26日に行いました。
この日は冬晴れでしたが気温がぐんぐん上がっていきました。
午前中早い時間は雲ひとつなく富士山が綺麗に見えました。広い田園地帯は遮るものはなく長い16両編成全体が24mm相当(16mm APS-C)で入ります。
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「Wonderful Dreams Shinkansen」というディズニーリゾートとJR東海が協力したラッピング列車を撮影しました。
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カラフルです。なお、ブログでは縮小していますが元画像をさらにphotoshopの強化RAW現像すると車両の窓枠がはっきり写っています。
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上記写真を等倍切り出し
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近所の隠れ家的レストランでゆっくり早めの昼食をとると、雲が出てきました。撮影者も多くなってきました。
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無事、ドクターイエローを撮影できました。
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上記写真を等倍切り出しするとゆらぎが出ていました。
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ドクターイエローの追っかけはまだ続きそうです。

横浜桜木町駅から横浜の鉄道を辿ってみました。
テレビ神奈川の番組をたまたま見ていたら「新・鉄道ひとり旅 横浜さんぽ編」(再放送)というのをやっていて、横浜の鉄道関連ポイントを紹介して歩くというものでした。元々この辺りはよく歩いていたのですが、見落としていたところもあったので番組に触発されて改めて散歩してみました。

まず東急東横線桜木町駅跡からスタートです。2004年1月に廃止になりました。その頃の写真を撮っているのでいずれまた公開します。
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紅葉坂の下までほんの少しだけ遊歩道になっています。確か初めの計画では東急東横線廃線跡は遊歩道化されるはずだったのですが。
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ここにかかるアーチ橋はかつては東急桜木町駅構内で、下に道路を通す際、新たに架けられています。透明アクリルで根岸線が見える工夫がされています。
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ここを降りて元高架下を歩きます。この高架下はかつてストリートアート、落書きで埋め尽くされていましたが、消されるのと、最近はあまりセンスの良いものはない。
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城壁のように高架の壁が続くのは、昔、高架の反対側は三菱重工造船所の工場敷地だったためです。
その工場の正門に通じる道があったこの場所まで高架の壁は途切れませんでした。
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ここには貨物線の踏切があります。「三菱ドック踏切」という名称に名残があります。
先述のテレビ番組で見なければここに踏切があるのは知りませんでした。
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ちょうどEF210「桃太郎」単行が通過していきました。横浜方向は一度地下に潜って出てきたところです。
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桜木町方面はこの先、根岸線の高架まで登って合流します。
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高島町まで来ました。
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高島町には旧東急高島町駅がありましたが、そこにマンションが建っています。その敷地にはこのような古い煉瓦があります。
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これはマンション建設時に発掘された二代目横浜駅の煉瓦です。
横浜駅の初代は1872年(明治5年)日本初の鉄道終着駅だった桜木町駅近くにできました。その後東海道本線開通によりスイッチバックしていた路線を改良する目的で、1915年(大正4年)ここに二代目横浜駅が作られました。東京駅のように赤煉瓦造の駅舎でした。しかし1923年(大正12年)関東大震災により崩壊してしまい、横浜駅はここに再建されることなく1928年(昭和3年)現在の位置に三代目が建設されました。
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この遺跡のことは知っていましたがなかなか見に来る事はありませんでした。テレビ番組で紹介されていたおかげです。
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偶然マンションの管理者にお会いしてご好意でエントランス内にある記念碑を見せてもらいました。
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双頭レール
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説明パネル
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さてここからテレビ番組通りに平沼橋へ向かい、相模鉄道横浜駅から発車する電車を見ました。
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振り返ると京浜急行の高架線、ここには戦前に平沼駅がありました。横浜ランドマークタワーがよく見えます。
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テレビ番組の終着点であった、高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)までいきました。ここは以前このブログでも取り上げた高島貨物線の線路両側にできた公園です。もうビル影に入って暗かったので写真は後日撮り直しました。
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本来ここから運河沿いに横浜駅まで行くことができるのですが、今はまだKアリーナへのデッキ歩道の建設で封鎖されています。
貨物列車はこの先地下トンネルへ潜り、先述の三菱ドック踏切あたりで地上に出ます。
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東海道新幹線の「ドクターイエロー」が2編成走るということを熱心な友人に教えてもらい、今回は車で相模川へ行くことにしました。ここは東海道新幹線の「モデル線」(綾瀬ー鴨宮を先行して建設し開業前に試験運転を行なった)だった区間でした。
まず相模川橋梁でT5編成を撮影。
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大勢の観客が来ていました。
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次に橋梁から西へ移動し、田圃の農道でT4編成を撮影しました。作業中の方、お邪魔しました。
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16時20分ごろ、すでに西陽が傾き出していました。
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秋の田は稲刈りが始まっていました。
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ドクターイエローの写真は4K動画からの切り出しです。
動画はYouTubeでご覧ください。



追記

実は事前に下見で行っていました。この時はまさかこんなに人が殺到するとは思っておらず、のんびり橋の袂でこんな写真も撮っていました。さすがに一発勝負でこの構図で撮る度胸はありませんでしたが。

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ちなみに土手の上のここは新幹線としておそらく最も低い橋です。某有名YouTuberにも紹介されました。
桁下は1.5m程度しか無く、車は通れず筆者も腰を屈めないと通れません。

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熱心にドクターイエローを追っている友人に誘ってもらい、武蔵小杉で東海道新幹線を狙いました。
4月に見に行った後、ドクターイエローの廃止が発表され驚きました。

武蔵小杉駅から南に歩いた歩道橋はドクターイエロー狙いの多くの鉄ちゃん以外にも親に連れられた小さな鉄ちゃんも来ていました。歩道橋の下部は透明アクリルで覆われており、子供にもよく見えるように工夫されています。大きな鉄ちゃんは手を伸ばして防護網の上からカメラを構えていました。

まず試し撮り
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ドクターイエローが来ました。



動画から切り出した写真1
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動画から切り出した写真2
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無事に撮影できたので、ロケハンを兼ねて多摩川鉄橋に移動しました。東急多摩川線で沼部駅へ。ここからも武蔵小杉の高層ビルがよく見えます。
動画切り出しで上下線の会合を。
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北側からの撮影になるので光線状態が気になります。流し撮りの練習。
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しかし、東海道新幹線は最短2分間隔で走っていて驚きます。
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9月中には東急電鉄のQ SKIP(スマホにQRコードを表示させて乗車)東急全線ワンデーパスが半額キャンペーンで370円だと教えてもらったので使ってみました。使うまでに会員登録するのは面倒で、QRコードを使える改札機が各駅一台程度です。(2026年までにJR東日本など首都圏では切符が廃止され、QRコードになるらしいので改札機は全部対応するようです。)
今回のスマホの場合QRコードを表示したら60秒以内に通過しないとならず、うっかり表示更新していないとエラーになるので初めのうち理由がわからず苦労しました。

阪神神戸三宮駅からJR三ノ宮駅へエスカレータで上がるところは現在工事フェンスで囲われています。
ここは「三宮ターミナルビル」が建っていた地下でまだ店舗跡が残っています。三宮ターミナルビルは1981年、神戸市の「ポートピア」開催時に開業したホテル、店舗でした。

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地上の阪急神戸三宮駅へ向かうペデストリアンデッキから見るともうビルの解体は終わっていました。
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フラワーロード南側を見るこの構図はこのデッキです。ちなみに昔は滝道と呼んでいました。
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JR三ノ宮駅に沿ってデッキが伸びています。
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金網越しにJR、旧国鉄の鉄橋が見える。
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この鉄板に空いた穴は、1945年神戸大空襲の際、米軍の機銃掃射でできたもの。
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筆者の父方家族もこの中を潜り抜けて生きてきました。
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ペデストリアンデッキを抜けると阪急神戸三宮駅です。
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