カテゴリ: JR
春の鎌倉 (2025年5月3日)
桜舞い散る横須賀線 (2025年4月)
ダイヤモンド富士とドクターイエロー(2025年3月9日)
下見に行った時の写真。陸橋には網の小さな金網があり、なかなか構図決定が難しいところでした。
この日は冬型気圧配置から弱い南岸低気圧通過、移動性高気圧張り出しと春に近づいていく過程の目まぐるしい天気でした。西の空は雲が広がって肝心の富士山は見えません。






-1段補正をしていましたが感度は自動制御でISO3200にまで上がっていました。
新幹線は写りましたが、それでも太陽周辺が白飛びしてしまいました。自動感度調整を切ってもう一段アンダーにするべきでした。。難しい露出でした。



横須賀線の車両 (2021年)
(ここから)
昔の70系は旧型国電を湘南型2枚窓の運転台にしたような車両でした。海水浴に使った記憶くらいです。床が木で、コールタール臭さで酔いやすかった旧型国電という印象です。写真はありません。
113系は筆者の記憶の中では最も深い車両です。
1962年に湘南色の80系置き換えから始まった111系から出力増強した113系(先頭車はクハ111)は、1963年から1982年まで約3000両製造されました。高度成長期の通勤近郊電車として日本全国の直流区間でで活躍しました。
筆者の学生時代の記憶は全てこの車両です。
カメラを手にした1979年ごろは横須賀線はまだ東海道線を併用して走っていて、この写真の清水谷戸トンネルを通過する横須賀線は今ではみられません。
この後、「SM分離」の1980年以降も113系は走り続けて、1990年末期はステンレス前面強化して継ぎ接ぎ鉄仮面のようでしたが、1999年に横須賀線は国鉄型からE217に置き換わります。
しかし、この当時、筆者は仕事を真面目にしていたため?ではなく、マニアも「スカ線」と呼んで横須賀線車両は”スカ”として写真にも撮っていなかったようです。
カラー写真がないので、2003年の外房線で晩年を送る113系です。
今も横須賀線専用車として活躍中のJR東日本217系は1994年に製造が開始されました。当時京浜東北線の車両209系をベースにしたというので、期待していませんでしたが、前面が横須賀線専用のデザインで、もともとプライドの高い?横須賀線利用者は溜飲を下げたようです。筆者もこのデザインは好きです。(このデザインは前面衝突クラッシャブルゾーンのためでもあります)
登場時のままのE217系は青色のラインが濃いマリンブルーでした。横浜らしくて良い。
ところが機器更新を2007年から行い、青色が113系の頃と同じ青20号に戻りました。
E217系は、バブル崩壊の頃から進められた車両のコストダウンのために、耐用年数を半減させたものなので、20年以上経過した現在、廃車が迫っています。113系は40年走っていたことを考えると短く、”美人薄命”ですね。
新たに横須賀線に走る車両、E235系。色は横須賀色でグリーン車も入りましたが、山手線と同じ車両で、ロングシート4扉です。
君が大人になる頃にはどんな車両が走っているだろうね。
東海道新幹線ドクターイエローT5編成2025年2月17日26日
今回も熱心な追っかけ友人に連れて行ってもらいました。
場所は神奈川県平塚市のより富士山が見える田園です。


![MOVIE_[0217]NX](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/9/f/9ff67bc5-s.jpg)
この日は冬晴れでしたが気温がぐんぐん上がっていきました。
午前中早い時間は雲ひとつなく富士山が綺麗に見えました。広い田園地帯は遮るものはなく長い16両編成全体が24mm相当(16mm APS-C)で入ります。




近所の隠れ家的レストランでゆっくり早めの昼食をとると、雲が出てきました。撮影者も多くなってきました。



桜木町から横浜の鉄道を歩く (2024年12月)
テレビ神奈川の番組をたまたま見ていたら「新・鉄道ひとり旅 横浜さんぽ編」(再放送)というのをやっていて、横浜の鉄道関連ポイントを紹介して歩くというものでした。元々この辺りはよく歩いていたのですが、見落としていたところもあったので番組に触発されて改めて散歩してみました。
まず東急東横線桜木町駅跡からスタートです。2004年1月に廃止になりました。その頃の写真を撮っているのでいずれまた公開します。




その工場の正門に通じる道があったこの場所まで高架の壁は途切れませんでした。

先述のテレビ番組で見なければここに踏切があるのは知りませんでした。

ちょうどEF210「桃太郎」単行が通過していきました。横浜方向は一度地下に潜って出てきたところです。
![MOVIE_[1216]](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/e/0/e05bc160-s.jpg)
![MOVIE_[1216]_01](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/4/f/4f2c6f36-s.jpg)


横浜駅の初代は1872年(明治5年)日本初の鉄道終着駅だった桜木町駅近くにできました。その後東海道本線開通によりスイッチバックしていた路線を改良する目的で、1915年(大正4年)ここに二代目横浜駅が作られました。東京駅のように赤煉瓦造の駅舎でした。しかし1923年(大正12年)関東大震災により崩壊してしまい、横浜駅はここに再建されることなく1928年(昭和3年)現在の位置に三代目が建設されました。









貨物列車はこの先地下トンネルへ潜り、先述の三菱ドック踏切あたりで地上に出ます。

東海道新幹線ドクターイエロー 2024年10月12日
東海道新幹線ドクターイエロー 2024年9月16日
4月に見に行った後、ドクターイエローの廃止が発表され驚きました。
武蔵小杉駅から南に歩いた歩道橋はドクターイエロー狙いの多くの鉄ちゃん以外にも親に連れられた小さな鉄ちゃんも来ていました。歩道橋の下部は透明アクリルで覆われており、子供にもよく見えるように工夫されています。大きな鉄ちゃんは手を伸ばして防護網の上からカメラを構えていました。
まず試し撮り
ドクターイエローが来ました。
動画から切り出した写真1
![MOVIE_[0916]_01NX](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/d/c/dc1c37e4-s.jpg)
![MOVIE_[0916]_02NX](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/2/6/26b776a9-s.jpg)
動画切り出しで上下線の会合を。
![MOVIE_[0916]NX](https://livedoor.blogimg.jp/nakamura_ma/imgs/c/8/c8e959b4-s.jpg)


今回のスマホの場合QRコードを表示したら60秒以内に通過しないとならず、うっかり表示更新していないとエラーになるので初めのうち理由がわからず苦労しました。
神戸、三ノ宮駅の痕跡(2024年8月)
ここは「三宮ターミナルビル」が建っていた地下でまだ店舗跡が残っています。三宮ターミナルビルは1981年、神戸市の「ポートピア」開催時に開業したホテル、店舗でした。