電車の風景

1999年開設したHP「阪神電車の風景」の書庫としてスタートしました。 阪神以外にもテーマを広げていくため「電車の風景」と変更しました。

カテゴリ:JR > 東海道線

今年の桜は結構長く持ってくれました。横浜でも満開まで2週間ほど続きましたが、いよいよ終焉間近、桜吹雪となって花びらが舞い散っています。

横須賀線の東戸塚駅近くにある桜を見てきました。

動画では湘南新宿ラインの車両ばかりになってしまいました。
 



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北天院門横にある桜
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横須賀線もすっかりE235系になりました。桜に、横須賀色の青、特にE235の濃い青色が似合います。
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北天院の側から撮影。桜吹雪が綺麗です。写真にはなかなかうまく写りません。
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東海道線の清水谷戸トンネルには山桜がありますがもう葉桜になっていました。
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(2025.4.10)

2021年に書いた記事ですが、そのまま掲載します。いよいよE217系は2025年3月に無くなります。ずいぶん変わってきました。
(ここから)

横須賀線の話です。
実家の最寄駅が、保土ヶ谷駅だったことからこの線に乗ることが多かったです。
今、戸塚駅が最寄駅で、当初大船に通っていましたが、なぜか横須賀線を選んで乗っていました。その後西大井駅に通っていましたから通勤はずっと横須賀線でした。
横須賀線の車両は、70系、113系からE217系に変わりましたが、今度、E235系に変わります。乗り慣れた車両が無くなるというのはなんだか感慨深いです。

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昔の70系は旧型国電を湘南型2枚窓の運転台にしたような車両でした。海水浴に使った記憶くらいです。床が木で、コールタール臭さで酔いやすかった旧型国電という印象です。写真はありません。

113系は筆者の記憶の中では最も深い車両です。

1962年に湘南色の80系置き換えから始まった111系から出力増強した113系(先頭車はクハ111)は、1963年から1982年まで約3000両製造されました。高度成長期の通勤近郊電車として日本全国の直流区間でで活躍しました。

筆者の学生時代の記憶は全てこの車両です。

カメラを手にした1979年ごろは横須賀線はまだ東海道線を併用して走っていて、この写真の清水谷戸トンネルを通過する横須賀線は今ではみられません。

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この後、「SM分離」の1980年以降も113系は走り続けて、1990年末期はステンレス前面強化して継ぎ接ぎ鉄仮面のようでしたが、1999年に横須賀線は国鉄型からE217に置き換わります。

しかし、この当時、筆者は仕事を真面目にしていたため?ではなく、マニアも「スカ線」と呼んで横須賀線車両は”スカ”として写真にも撮っていなかったようです。

カラー写真がないので、2003年の外房線で晩年を送る113系です。

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今も横須賀線専用車として活躍中のJR東日本217系は1994年に製造が開始されました。当時京浜東北線の車両209系をベースにしたというので、期待していませんでしたが、前面が横須賀線専用のデザインで、もともとプライドの高い?横須賀線利用者は溜飲を下げたようです。筆者もこのデザインは好きです。(このデザインは前面衝突クラッシャブルゾーンのためでもあります)

登場時のままのE217系は青色のラインが濃いマリンブルーでした。横浜らしくて良い。

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ところが機器更新を2007年から行い、青色が113系の頃と同じ青20号に戻りました。

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E217系は、バブル崩壊の頃から進められた車両のコストダウンのために、耐用年数を半減させたものなので、20年以上経過した現在、廃車が迫っています。113系は40年走っていたことを考えると短く、”美人薄命”ですね。

新たに横須賀線に走る車両、E235系。色は横須賀色でグリーン車も入りましたが、山手線と同じ車両で、ロングシート4扉です。

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君が大人になる頃にはどんな車両が走っているだろうね。

 

貨物駅は大都市の駅近くにありました。汐留駅や梅田駅のように廃止されて大規模開発用地になっています。横浜駅の東側にも大きな貨物駅がありました。それが高島駅です。ここはみなとみらい地区になって開発されて行きますが、みなとみらい地区は貨物ヤードだけではなく三菱造船などの工場敷地も含む一帯の開発地区なのでより広範囲です。

高島駅は横浜港の荷揚げ貨物の輸送を行うために高島線にあった貨物専用駅で、桜木町にあった東横浜駅、根岸線経由で神奈川臨海鉄道、山下埠頭線経由で山下埠頭駅などから来る貨物が集中する大きな貨物駅でした。
その歴史は大変複雑で、おいそれとは語れません。

ここでは高島駅と横浜機関区が廃止になった1986年11月の写真をご覧ください。

1986年10月10日の横浜機関区から高島駅を望む写真です。奥には横浜そごうと当時の先代スカイビルが見えます。ヤードには多くの貨車が見えます。

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1986年11月1日に横浜機関区が廃止になって、高島駅も高島信号所になって、さらに国鉄がJRになる1987年4月1日を控えていました。
以下の写真は、1986年11月6日の写真です。横浜機関区廃止後、解体を控えて一般公開をしたものだと思います。記憶にほとんどないので、なぜ中に入って撮影できたのか疑問だったのですが、同時期に同じように中に入って撮影した写真がネットにもあることと、わずかな記憶では、新聞の横浜地方版の記事で公開されていることを知って、その最終日だと思うのですが、午後になって急いで行って撮影したようです。

国道15号道路から見える横浜機関区の扇形機関庫外観。


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扉が開放されて、転車台が見えます。転車台は今、本牧市民公園にD51と共に保存されています。
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機関庫は当然蒸気機関車のために作られたもので、天井には集煙装置が残っていました。

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廃止された高島駅には、廃車になる車掌車が並んでいました。
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奥にそごうとスカイビルが見えます。
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首都高横羽線の高架が見えます。
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多分駐車場から撮影したと思います。高島線は運行されていました。
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まだまだ横浜駅東口地域に港の機能が残っていました。
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その後の高島駅は一度JR貨物駅に復活しますが1995年に廃止されます。
高島線は1989年の横浜博覧会のとき、桜木町から山下公園までレトロ調気動車を走らせたり、高島トンネルが出来て桜木町駅に直結したり変化がありました。
現在の高島線。高島ヤードの跡地の一部を通っていますがトンネルを含め当時の線路から変わっています。

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単線の両脇は高島水際線公園となり、再整備が進められています。



横浜駅東口は現在そごう横浜店、スカイビルがありその先は日産、京急の本社ビルやKアリーナ横浜などが広がるみなとみらい地区です。その間には帷子川河口がありますが、その水際に唐突に単線の線路があります。
この線路はJR貨物の東海道本線貨物支線(通称高島線)です。
東方向は鶴見駅から東海道本線を離れ貨物専用の東高島駅を経てやってきます。こちら側は高層ビルが立ち並んでいて未来都市から貨物列車が来たようなちょっと不思議な景色です。


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西側を見ると、トンネルに入り、その先は桜木町駅につながっています。

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みなとみらい地区もすでに多くのビルが立ち並んでいてその地下を貨物が潜り抜けている訳です。
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東側、神奈川区金港町栄町山内町は元々は倉庫地区でした。大きく変化しました。
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線路の両脇は高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)です。

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工事中に発掘されたイカリのモニュメント。

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反対側には車輪。これも発掘されたそうですが、ナローゲージの蒸気機関車用動輪です。
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スカイビルとかもめ
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新しいKアリーナ。公園と周辺道路は観客に対応するために工事中です。
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この場所は元は貨物駅の高島駅と横浜機関区でした。
横浜駅の東口は大きな貨物ヤードが広がっていました。
1986年10月の写真です。

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1986年11月1日に廃止になりました。
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