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横須賀線の車両 (2021年)
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昔の70系は旧型国電を湘南型2枚窓の運転台にしたような車両でした。海水浴に使った記憶くらいです。床が木で、コールタール臭さで酔いやすかった旧型国電という印象です。写真はありません。
113系は筆者の記憶の中では最も深い車両です。
1962年に湘南色の80系置き換えから始まった111系から出力増強した113系(先頭車はクハ111)は、1963年から1982年まで約3000両製造されました。高度成長期の通勤近郊電車として日本全国の直流区間でで活躍しました。
筆者の学生時代の記憶は全てこの車両です。
カメラを手にした1979年ごろは横須賀線はまだ東海道線を併用して走っていて、この写真の清水谷戸トンネルを通過する横須賀線は今ではみられません。
この後、「SM分離」の1980年以降も113系は走り続けて、1990年末期はステンレス前面強化して継ぎ接ぎ鉄仮面のようでしたが、1999年に横須賀線は国鉄型からE217に置き換わります。
しかし、この当時、筆者は仕事を真面目にしていたため?ではなく、マニアも「スカ線」と呼んで横須賀線車両は”スカ”として写真にも撮っていなかったようです。
カラー写真がないので、2003年の外房線で晩年を送る113系です。
今も横須賀線専用車として活躍中のJR東日本217系は1994年に製造が開始されました。当時京浜東北線の車両209系をベースにしたというので、期待していませんでしたが、前面が横須賀線専用のデザインで、もともとプライドの高い?横須賀線利用者は溜飲を下げたようです。筆者もこのデザインは好きです。(このデザインは前面衝突クラッシャブルゾーンのためでもあります)
登場時のままのE217系は青色のラインが濃いマリンブルーでした。横浜らしくて良い。
ところが機器更新を2007年から行い、青色が113系の頃と同じ青20号に戻りました。
E217系は、バブル崩壊の頃から進められた車両のコストダウンのために、耐用年数を半減させたものなので、20年以上経過した現在、廃車が迫っています。113系は40年走っていたことを考えると短く、”美人薄命”ですね。
新たに横須賀線に走る車両、E235系。色は横須賀色でグリーン車も入りましたが、山手線と同じ車両で、ロングシート4扉です。
君が大人になる頃にはどんな車両が走っているだろうね。
横浜高島駅、横浜機関区 (1986年11月)
高島駅は横浜港の荷揚げ貨物の輸送を行うために高島線にあった貨物専用駅で、桜木町にあった東横浜駅、根岸線経由で神奈川臨海鉄道、山下埠頭線経由で山下埠頭駅などから来る貨物が集中する大きな貨物駅でした。
その歴史は大変複雑で、おいそれとは語れません。
ここでは高島駅と横浜機関区が廃止になった1986年11月の写真をご覧ください。
1986年10月10日の横浜機関区から高島駅を望む写真です。奥には横浜そごうと当時の先代スカイビルが見えます。ヤードには多くの貨車が見えます。

以下の写真は、1986年11月6日の写真です。横浜機関区廃止後、解体を控えて一般公開をしたものだと思います。記憶にほとんどないので、なぜ中に入って撮影できたのか疑問だったのですが、同時期に同じように中に入って撮影した写真がネットにもあることと、わずかな記憶では、新聞の横浜地方版の記事で公開されていることを知って、その最終日だと思うのですが、午後になって急いで行って撮影したようです。
国道15号道路から見える横浜機関区の扇形機関庫外観。










高島線は1989年の横浜博覧会のとき、桜木町から山下公園までレトロ調気動車を走らせたり、高島トンネルが出来て桜木町駅に直結したり変化がありました。
現在の高島線。高島ヤードの跡地の一部を通っていますがトンネルを含め当時の線路から変わっています。

横浜旧高島駅跡の貨物線 (2023年12月)
この線路はJR貨物の東海道本線貨物支線(通称高島線)です。
東方向は鶴見駅から東海道本線を離れ貨物専用の東高島駅を経てやってきます。こちら側は高層ビルが立ち並んでいて未来都市から貨物列車が来たようなちょっと不思議な景色です。










横浜駅の東口は大きな貨物ヤードが広がっていました。
1986年10月の写真です。

